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<title>NGT07 BLOG : 近代文学の歩き方</title>
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<description>北九州演劇界の次世代を担う演劇人によるNext Generation&apos;s Theater 07。NGT07参加の若きクリエイターによる週刊コラムです。今回のNGTテーマに合わせ、「近代文学の歩き方」をテーマに綴っていきます。5月終了予定。</description>
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<title>思いのすべてを、「蒲団」という選択にして</title>
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<description>今回のNGTは「文豪」をテーマに各カンパニーの３者が、創作しています。 藤本くんは、鵜飼さんは、なぜ、原作をそれにしたのだろう。 ぼくがそう知りたいように、ぼくがお会いするライターの方々や関係者のみなさんからも、同様の質問をいただきます。 のこされ劇場≡の場合はどうだったんでしょう。 なぜ、田山花袋の小説「蒲団」だったのか。 ▽「蒲団」ってなに？ 花袋に師事していた弟子の岡田美知代とのかかわりをもとに描いた小説。日本における自然主義文学、また私小説の出発点に位置する作品で、末尾において主人公が女弟子の使っていた蒲団の匂いをかぐ場面など、性を露悪的にまで描き出した内容が当時の文壇とジャーナリズムに大きな反響を巻き起こした。 ▽「蒲団」のあらすじは？ 34歳くらいで、妻と三人の子供のある作家の竹中時雄のもとに、横山芳子という女学生が弟子入りを志願してくる。始めは気の進まなかった時雄であったが、芳子と手紙をやりとりするうちにその将来性を見込み、師弟関係を結び芳子は上京してくる。時雄と芳子の関係ははたから見ると仲のよい男女であったが、芳子の恋人である田中秀夫も芳子を追って上京してくる。 時雄は監視するために芳子を自らの家の2階に住まわせることにする。だが芳子と秀夫の仲は時雄の想像以上に進んでいて、怒った時雄は芳子を破門し父親と共に帰らせる。そして時雄は芳子のいない空虚感のために、芳子が寝ていた蒲団に顔をうずめ、泣くのであった。 （出典：フリー百科事典『ウィキペディア』） 選定の理由に「蒲団」が優れた文学作品であるということは、大前提であります。 さらに、ぼく個人とそれを引き合わせた理由は、大きく分けて２点あります。 １、登場する主人公の滑稽さを、自分のそれを愛するように愛してしまった。 ２、作品そのものよりも《田山がした「蒲団」という行為》に、惹かれた。 今回は、最初の「１」のことについて、少し書いてみようと思います。 １、主人公「竹中時雄」≠田山花袋への愛 彼は、愛すべき人間です。 ぼくは、愛しました。 以下、ぼくが愛した彼のことを断片的に。 ▽通勤途中によく見かける「女教師」へのあこがれ 平凡な毎日にも楽しみがあるんだ。 あの子、いいなあ。 かわいいなあ。 つきあいたいなあ。 でも、ぼくには妻も子供もいるしなあ。 やつらがいなかったらいいのになあ。 ▽女弟子、横山芳子への執念 若いなあ。 かわいいなあ。 好きって言っちゃおうかなあ。 でも、ぼくには妻も子供もいるしなあ。 それに、弟子に手を出しちゃまずいなあ。 今日は、何を教えてあげようかなあ。 戦後の女の在り方、とか？ 海外の女性ってこんなにもアレだよ、とか？ ドキドキするなあ。 ▽横山芳子に彼氏ができてからの狂気 彼氏ができたとか、マジありえない。 ふしだらな。...</description>
<dc:subject>1:もしも蒲団がひけたなら、</dc:subject>
<dc:creator>市原幹也</dc:creator>
<dc:date>2007-03-21T13:18:09+09:00</dc:date>
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<title>ドッペルゲンガー</title>
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<description>世界には自分と全く同じ顔の人間が7人いて、全員に会うと死ぬんだって、なんていう噂を小学生のころに聞いたことがある。 根拠がないのに「死ぬんだって」という展開になるのは、小学生の言うことだから仕方ない。 けれども、そうでなくてもドッペルゲンガーにはどことなく死のイメージが付き纏う。 「無自覚に行っている行動」なのか、「自分によく似た人の行動」なのか、あるいは全くの妄想なのかはわからないが、芥川は実際にドッペルゲンガーの影に怯えていたらしい。 全然会った覚えがない人に「やあ、こないだはどうも」なんて言われたら、それはそれは気持ちが悪いものだろう。 そしてそれは、彼の晩年の作品の中にもたびたび妄想や凶器の片鱗として登場することもあった。 芥川が死の直前まで取り組んでいた作品で、「人を殺したかしら？」（のちに「夢」と改題）というタイトルの未定稿がある。 ドッペルゲンガーを題材に扱った作品なのだが、これについてはまた次回。 つづく...</description>
<dc:subject>2:崩壊する日々</dc:subject>
<dc:creator>藤本瑞樹</dc:creator>
<dc:date>2007-03-22T00:10:36+09:00</dc:date>
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<title>本日のお相手は三島由紀夫さん</title>
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<description>なんといいましょうか、鋭い眼光。そんな印象の方です。 私がごくごく最近、三島文学に触れた機会は「うずめ劇場」の舞台です。『近代能楽集』に収録されている「道成寺」「班女」「卒塔婆小町」を上演していました。実は、学生のころ「道成寺」を部活の先輩と稽古していたことがある私は非常に懐かしく舞台を拝見しました。 学生のころはね、意味がわからなかったんです。繰り出される言葉が装飾的すぎて意味がわからない、というような。端的にいうと難解だ、と感じていたわけです。ですが、あのころから６、７年経った今もう一度「道場寺」に触れると非常に納得してしまったというか、そこに描かれた女性や人間に、非常にリアリティを感じました。「まあ、若い女とはそいういうものであるなあ」と。そういうことを「汚れなく若い」というのだなあと腑に落ちました。 小説『金閣寺』、これまたもうさっぱり理解できませんでしたが、「柏木」という足に障害（内翻足）のある男と「令嬢」の強烈なカップルが印象に残っています。「金閣寺」のことははっきり言ってこのカップルのことしか覚えていません。人間の持つ優越感とか劣等感とかそういう感情を基礎として繋がっている関係ですが、これがある意味では根本的で、ある意味では非常に美しいカップルだと感じたのです。 そう、「美意識」とか「美学」とかそういった言葉が似合うのが、目ヂカラ三島様です。...</description>
<dc:subject>3:ブンゴーと散歩でも</dc:subject>
<dc:creator>鵜飼秋子</dc:creator>
<dc:date>2007-03-24T23:56:37+09:00</dc:date>
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<title>死を巡る噂</title>
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<description>芥川の死を巡っては、こんな奇妙な噂がある。 芥川は晩年、「人を殺したかしら？」という奇妙なタイトルの、ドッペルゲンガーに関する作品に取り組んでいた。 夢の中で人殺しをしてしまった画家の話で、もしかしたら夢ではなく実際に人を殺したかもしれないと怯えるといった筋なのだが、芥川は、この原稿の出来を良しとしていなかった。 ある日、編集者がやってきて、この書きかけの原稿を見つける。 手に取ろうとすると、芥川は「やめろ！その原稿に触るな！」と叫び、編集者の目の前で表紙に朱の×を書き、ぐちゃぐちゃにして破棄してしまった。 その姿に、編集者は呆気に取られていたという。 しばらくして、芥川は服毒自殺をしてしまう。 その傍らには、以前破棄したはずの「人を殺したかしら？」の原稿が、完全な状態で置かれていた。 確かに、編集者の目の前で、朱の×をつけ、破棄したはずなのに。 何故完全な状態の原稿があるのか？ それは誰が書いたのか？ いつ書いたのか？ 芥川が晩年脅かされていたという「もうひとりの自分」が書いたとでもいうのか？ ドッペルゲンガーを題材とした作品を巡る噂なだけに、謎はいよいよ深まるばかり。 つづく...</description>
<dc:subject>2:崩壊する日々</dc:subject>
<dc:creator>藤本瑞樹</dc:creator>
<dc:date>2007-03-29T23:08:17+09:00</dc:date>
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<title>人を殺したかしら？</title>
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<description>「人を殺したかしら？」というその奇妙なタイトルの作品の内容は、こんな感じである。 画家であるわたしは、不眠症などに悩まされ、疲れていた。 ある日為替をとりに行った帰りに、ふと制作慾を感じ出したわたしは、Mという家からモデルを呼ぶことにした。 そのモデルは顔は綺麗ではなかったが、体は―殊に胸は立派だった。 彼女に気安さを感じつつも、たまに見せる何かの拍子には目さえ動かさないその姿に、妙な圧迫を感じることもあった。 気乗りがしないというわけではないけれども作業は捗らず、わたしは彼女の威圧を受けている感じが次第に強まっていた。 ある日わたしはこんな夢を見る。（以下抜粋） わたしはこの部屋のまん中に立ち、片手に彼女を絞め殺そうとしていた。（しかもその夢であることははっきりわたし自身にもわかっていた。）彼女はやや顔を仰向け、やはり何の表情もなしにだんだん目をつぶって行った。同時にまた彼女の乳房はまるまると綺麗にふくらんで行った。それはかすかに静脈を浮かせた、薄光りのしている乳房だった。わたしは彼女を絞め殺すことに何のこだわりも感じなかった。いや、むしろ当然のことを仕遂げる快さに近いものを感じていた。彼女はとうとう目をつぶったまま、いかにも静かに死んだらしかった。―― （以上抜粋） そんな夢を見た次の日、いくら待ってもモデルはやってこなかった。 そのうちにわたしは、十数年前の出来事―わたしの生活の中に、「わたし自身が少しも知らない時間」があることを思い出させるような出来事を思い出していた。 夢の中でモデルを殺した。 けれどもそれが、夢ではなかったら？ 次の日もモデルはやってこなかった。 不安になったわたしは、とうとうMの家を訪ねる。 彼女を訪ねていった往来も、わたしには何ヶ月か前（あるいは何年か前）に見た夢のようにも思えた。 （以下抜粋） それから先の夢の記憶は少しもわたしには残っていなかった。けれども今何か起れば、それもたちまちその夢の中の出来事になり兼ねない心もちもした。……… （以上抜粋） その小説はここで終わっている。 つづく...</description>
<dc:subject>2:崩壊する日々</dc:subject>
<dc:creator>藤本瑞樹</dc:creator>
<dc:date>2007-04-05T22:00:05+09:00</dc:date>
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<title>本日のお相手は芥川龍之介さん</title>
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<description>今回「二番目の庭」さんが取り組むという芥川様。 小学生のとき、学校の体育館にたしか「こんにゃく座」さんが来て「蜘蛛の糸」と「杜子春」を見せてくれました。 芥川さんはなんといっても美形です。切れのある端正なお顔立ち。だけど寝ているときに歯軋りしそうなイメージがあります。 文章は、明瞭簡潔、正確な表現。どちらかというと理系より。 私は『トロッコ』という短編が好きでした。少年が主役のかわいらしいお話です。 瑞樹くんが題材にした『歯車』『河童』『夢』は実はどれも読んだことがありません。 予習しとかんといけん。...</description>
<dc:subject>3:ブンゴーと散歩でも</dc:subject>
<dc:creator>鵜飼秋子</dc:creator>
<dc:date>2007-04-07T22:35:39+09:00</dc:date>
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<title>アフタートーク決定！</title>
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<description>各劇団の金曜公演終演後、ドラマドクターでもある岩崎正裕氏（劇団 太陽族）をゲストに迎え、アフタートークを実施します。 ●のこされ劇場≡　4/27（金） ●劇団 二番目の庭　5/11（金） ●さかな公団　5/18（金）...</description>
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<dc:creator>mt_master</dc:creator>
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<title>河童</title>
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<description>小説「歯車」の中には、ホテルで一心不乱に「河童」という小説を書く場面がある。 精神病患者の話す妄想？として、河童の国のことが事細かに語られる。 生活・宗教・風俗・芸術などなど、ありとあらゆる物事が河童とその世界に置き換えられ、風刺されている。 我々が馬鹿馬鹿しいと思うようなことを、河童は真剣にやっていたり、また、我々が真剣にやることを河童は馬鹿馬鹿しいと思ったりする。 芥川の「河童」に出てくる河童たちは実に人間らしくて、たとえばきゅうりを食べたりはしない（いや、食べてるかもしれないけど、描写はない）。 コンサートにも行けば詩も書くし、出産だってする（たぶん夜営んでるんだろう）。 口から卵を吐いたりはしない。 そんな実は人間っぽい河童が、庭の「崩壊」にも出ます。 あの人とあの人が演じます。 お楽しみに。 つづく...</description>
<dc:subject>2:崩壊する日々</dc:subject>
<dc:creator>藤本瑞樹</dc:creator>
<dc:date>2007-04-12T14:02:21+09:00</dc:date>
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<title>本日のお相手は樋口一葉さん</title>
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<description>初めての女性のお相手ですね。 『たけくらべ』の口語訳を読みました。原文もはじめの何ページか読みましたが、どうも文語が読み慣れず眠気が襲ってくるので断念。すみません。 お話自体は美内すずえさんの『ガラスの仮面』で北島マヤが「美登利」を演じるシーンではじめて知りました。 「美登利」と「信如」の初恋。 うーん。わかるなあ。初恋は実らないから美しい。大人になる一歩手前の世代、男も女も関係なく遊んでいた子供が異性を意識し始めて、また自分のその感覚を自身で歯痒く思ったり。いやん。素敵。 現代の少女マンガにも通ずる美的感覚です。少女マンガ好きにはぐっと来る話です。せつなく美しい。 今は5千円札でお顔を拝見できる一葉さん。美人さんです。お名前も洒落てますね。 しかし、25歳で亡くなって作家生活はたったの14ヶ月って。早すぎます、惜しいです。 炎のような生涯ですね。...</description>
<dc:subject>3:ブンゴーと散歩でも</dc:subject>
<dc:creator>鵜飼秋子</dc:creator>
<dc:date>2007-04-14T01:37:05+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www2.kitakyushu-performingartscenter.or.jp/ngt07/archives/000598.html">
<title>書く</title>
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<description>何故お芝居に関わる生活を送っているんだろう、と今でもたまに考えることがある。 高校の時は、もっと違う形で、もっと意義が欲しいみたいな感じで「何故演劇なのか」なんてことを考えていたような気がするけど、今は、あのころよりは、なんと言うかちょっと消極的だ。 要するに、「芝居なんていう時間がかかる割に経済的にはリターンの少ない物事に、なんでわざわざ関わっちゃったのかなあ」という意味合いで考えるようになったのだ。 劇団を作ってもう7年になる。 作ったころの気持ちなんて、もう忘れてしまった。 初期衝動だけでやってられるものではない。 現実も見えてくる。 理想も変わってくる。 能力や人材の幅が広がってくる。 出会う。別れる。 7年経って、変わったことだらけだ。 変わっていないことと言えば、河村がまだいることと、時間がかかる割に経済的リターンが少ないこと。 そして、これは当たり前すぎて気付きにくいけど、おそらくとても大事なことだと考えていることなのだけど、まだ、劇団を続けているということだ。 相変わらず劇団は続いている。 リターン少ねえなあとか時間も手間もかかるなあとか言いながら、そういう現実を抱えながらも、それでも、劇団は続いている。 続けている。 作ったころの気持ちなんて、もう忘れてしまった。 それでも、だ。 それでも、劇団は続けていく。 そこに大きな決意は特にない。 続けていく感覚が当たり前のものとしてある。 そこに「何故演劇なのか」なんていうクエスチョンとアンサーは特にない。 あるのは、「何故、書くのか？」というシンプルな問いだけだ。 我々は、何故、表現し続けるのか？ 芥川の晩年の生（と死）は、その答えのひとつを教えてくれるような気がする。 つづく...</description>
<dc:subject>2:崩壊する日々</dc:subject>
<dc:creator>藤本瑞樹</dc:creator>
<dc:date>2007-04-19T23:53:37+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www2.kitakyushu-performingartscenter.or.jp/ngt07/archives/000600.html">
<title>崩壊する日々</title>
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<description>そうして僕は戯曲を書き上げた。 「歯車」というタイトルの、自分で書いていても奇妙な感じのする本だ。 おもしろくなくはないのだろうと思うけど、「こ……これは……すごい傑作ができてしまった！」という感じは微塵もなく、でも、確実にこれまでの僕が書けなかったもので、うーん。 すごくおもしろいという感覚はなく、でも、おもしろくなくはないという感覚があるだけに、自分の中でも収まりが悪い。 とにかく奇妙な感じがする。 たとえるなら、 「子供生まれたんだけど……俺にも嫁にも似てないんだよね」 という感じだ。 子供がいないのに「感じだ」と断言するのもあれだけど。 ドラマドクターのアドバイスが入り（詳しくは11日(金)19時公演終了後のアフタートークで話すと思います。お楽しみに）、第2項は「崩壊」というタイトルで書き換わった。 物書きである「僕」の、崩壊していく精神をおもしろおかしく描いたつもりだ。 何から手をつけたらいいのかわからない、厄介な戯曲。 それを、これまた手のつけようがないなあというほどのユニークな俳優たちに演じてもらう。 舞台は、白の線で地図のように仕切られただけの空間。 崩壊する日々ももうすぐ終わりを迎える。 つづく （更新遅れてすみませんでした）...</description>
<dc:subject>2:崩壊する日々</dc:subject>
<dc:creator>藤本瑞樹</dc:creator>
<dc:date>2007-04-26T21:47:26+09:00</dc:date>
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<title>歯車</title>
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<description>終わりの風景を、このところずっと見ている。 色彩のある夢を見る。 歯車の廻る音が聞こえる。 そういえばレインコートを着たひとをよく見る。 なんでレインコートなんか着てるんだろう。 耳鳴りがする。 耳鳴り？ 大きな透明の歯車が見える。 歯車の廻る音が聞こえる。 死の音が近づいてくる。 うるさい。 目が翳む。 頭が割れるように痛い。 不安が押し寄せてくる。 時計の刻む音がうるさい。 時計の音？ いや、これは歯車の廻る音だろう。 歯車？ 歯車が何処にある？ 幻か現実かもはっきりしない風景の中でのたうち回る狂人の最期を、少し離れたところから見ている。 死の風景を見ていると、生ってこういうことなのかなあと考えさせられる。 とりあえず僕は僕の書けることを書こう。 生死に関わるような切迫した状況にいるわけじゃないけど、とりあえず僕は、僕の書けることを書き続けていこう。 何故書くのかという問いの答えが、わかったところで書くことを止めるわけじゃないんだな、ということはわかったよ。 今回の公演は、そういういろいろを、あまり重々しくならないように面白おかしく切なく立ち上げています。 みんなには「変態たちの乱痴気騒ぎ」と言って宣伝してます。 Next Generation&apos;s Theater 2007 #002 劇団 二番目の庭「崩壊」 2007年5月11日(金)19:00 　　　5月12日(土)14:00/18:00 　　　5月13日(日)14:00 (※開場は開演の30分前) みなさまのご来場、お待ちしております。 （次回は公演直前なのでお休みします） （あと、また更新遅れてすみませんでした）...</description>
<dc:subject>2:崩壊する日々</dc:subject>
<dc:creator>藤本瑞樹</dc:creator>
<dc:date>2007-05-03T11:56:31+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www2.kitakyushu-performingartscenter.or.jp/ngt07/archives/000601.html">
<title>本日のお相手は寺山修司さん</title>
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<description>不思議な世界に迷い込みたい気分のときにぴったりです。 寺山様と言えば、「天井桟敷」に代表される演劇活動のほかに、映画、詩、評論と多方面において活動をされていた方ですが、今日は寺山様の詩について語ってみましょう。 今、私の手元には「寺山修司少女詩集」という文庫があります。少女の愛を謳った詩が多く収録されています。 寺山様の世界はメルヘンでありながらその根底に、人間の持つある普遍的な残酷さとでもいいましょうか、そういった人間の無意識のうちの本質を楽しむ、いわゆる一口でいうならシュールレアリスム的要素を多分に含んだ世界だと言えます。とても優しい母の顔をしていると信じていた童話が、実は非常に残酷な人間の本質を述べた話であるように。どんなに美しく優しいものにも醜く冷酷である一面が潜んでいるという事実に私たちは恐怖を感じます。 だけどもしも、人間が本当に善良で正しい行いばかりをする生き物だったらこんな詩を楽しむなんて感覚は到底ないだろうし、そういった自分の残酷さを認識しているからこそ人は寺山様の詩に内心、共感してしまうのでしょう。 私が大学で演劇を初めて間もないころ、いくつも演劇のビデオを見せられましたが一番深く感動したのは「天井桟敷」のビデオでした。高校の教科書に「縁日にひとりおじさんが迷い込んで辺りは風車がくるくる回っているだけ」といったイメージの寺山様の短歌が載っていましたが、心当たりのある方はこの詩の名前を教えてください。...</description>
<dc:subject>3:ブンゴーと散歩でも</dc:subject>
<dc:creator>鵜飼秋子</dc:creator>
<dc:date>2007-05-05T11:33:56+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www2.kitakyushu-performingartscenter.or.jp/ngt07/archives/000603.html">
<title>終わり</title>
<link>http://www2.kitakyushu-performingartscenter.or.jp/ngt07/archives/000603.html</link>
<description>劇団 二番目の庭 第11回公演 「崩壊」、無事終了しました。 ご来場いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。 そして。 関わってくれたみんな、ほんとうにどうもありがとう。心から感謝します。 感想は様々でした。 「難しかった」という意見も多かったし、「今まででいちばん面白かった」と言ってくださった方もいました（ちなみにウチの親は「難しくてつまんなかった」とのことでした）。 思い出作りを繰り返しているわけではないけれども、この作品は、本当にこれから先の支えになるものになったと思います。 まあ暗い話ではありましたが。 「崩壊」は、これまで以上に藤本瑞樹自身のことを描いた作品なのではないか、と言われることもありましたが、そんなことはありません。 僕は死ぬほど苦しんで書いてはないもん。 「書き続けていくよーん」というような決意は少しは込めましたが、笑ってドキッとしてグッときておやっと思って90分経って「あー観たみた」と言って劇場を後にしていただけるようなエンターテインメントを創りたかっただけです。 その試みが成功だったのか失敗だったのかは、ご覧になった方々のご感想に委ねますが、今回は集まってくれたメンバーと共に、その試みを一切の妥協もせずに成し遂げることができました。 ほんとにいいカンパニーでした。 公的なブログをこんな締め方してしまってすみませんが、それでも、最後だから大目に見てくださいということで、書かせてください。 はやまん。 3年連続庭のNGTに出てくれてありがとう。最後コントじゃなくてごめん。 よっしー。 すごく好きな役者さんになりました。よっしーがこれから先出る舞台は、全て観に行きます（という気持ちはあります）。 織田くん。 参加してもらえてほんとによかったです。織田くんはもっと評価されるべき。 梅さん。 ……また、ぜひ……。 河村。 河村だけ呼び捨てでごめん。河村の成長がそのまま庭の成長となってます。 今井くん。 最年少でよくがんばった。今井くんがいたからこそいいチームができたと思います。 野口さん。 すごく庭のひとっぽかったです。いいかげん具合にみんなが救われました。 キコさん。 打ち上げで聞いた「芋飲めばいい」「後悔すればいい」は忘れません。 そして、 太田さん。 すごく難しい作品だったと思いますが、引き算で挑んでくださってありがとうございました。 塚本さんと雑賀氏。 チーム26ペアで括ってすんません。揃っていい仕事してくれたと思います。 タツオさん。 カッコいい曲をありがとうございました。またぜひ頼んます。...</description>
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<dc:creator>藤本瑞樹</dc:creator>
<dc:date>2007-05-17T23:15:51+09:00</dc:date>
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<title>最後のお相手は萩原朔太郎さん。</title>
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<description>なぜ、私が「月に吠える」に決めたのかというと、それは「序」に魅かれたからです。 「序」は「月に吠える」のいわゆるまえがき部分。なぜ朔太郎が詩をつくるのかそういったことが書かれています。 詩、というもに私自身、普段から親しみがあるのかというとそういうわけでありません。 題材を探している過程で、父がふと「萩原朔太郎は面白い」とふと言ったことが耳に残っただけで、手に取らずに終っていたのだろうと思います。 朔太郎の第一印象は「切れ味抜群」。私は後腐れのないものとか、簡潔なものとか、シャープなものを好む傾向があるので、朔太郎は拾い読みした時点で気に入ってしまいました。 詩人はナルシストだ。まあ、今でもそう思いますが。 ナルシストの自慰がおもしろければそれは立派な芸術になるわけで。朔太郎を読み込めば読み込むほど「酔ってんじゃねえ」と彼に対する私の悪態が増えたのと同じだけ、つい顔がニヤけてしまう回数も増えていったわけです。 人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。・・・私のこの肉体と感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も私一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。 「序」のこの部分を読むと妙に興奮します。 「月に吠える」は朔太郎の処女詩集。 他のものに比べて青さが残るこの詩集が好きです。 さかな公団「月に吠える」にご来場の皆様ありがとうございました。...</description>
<dc:subject>3:ブンゴーと散歩でも</dc:subject>
<dc:creator>鵜飼秋子</dc:creator>
<dc:date>2007-05-26T15:02:28+09:00</dc:date>
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