わたしの青い鳥
わたしの青い鳥物語
「新たな世界の扉」

第15回

「新たな世界の扉」

山田真由美(やまだ・まゆみ)さん(44)
岡田海羽(おかだ・みう)ちゃん(12)
三浦光聖(みうら・こうせ)くん(11)

音楽の力に導かれて

市内の盲学校で教諭を務める山田さんは、9年前から青い鳥に参加。4年前から教え子である海羽ちゃんと光聖くんも加わり、共に切磋琢磨しながらお稽古に励んでいます。

山田さん「学校では音楽に携わっていませんし、ただ普通に歌が好きでライブに行く位でした。それが、同僚が参加していた合唱の舞台を見て"私もやってみたい!"と思って。たまたま駅のチラシで見つけた青い鳥に参加しました。その年に縁あって勤務先の学校でアウトリーチ(※)が開催されて、当時幼稚部に入学したてだった2人もいたんです。その後、2人が小一の時に私が担任になって、一緒に青い鳥に参加しないかって声をかけて。暫くはいやだって断られ続けて(笑)1年半後くらいに決心がついたかな」
光聖くん「小一の時の担任が山田先生じゃなかったら、参加してなかったかもしれないですね」

担任になる前から二人がピアノを弾く姿や歌う姿を目にする事も多く、音楽に長けているのを感じたという山田さん。それは、幼い頃からの音楽環境によるものでした。

光聖くん「音楽との出会いは2歳の頃、おばあちゃんの影響でスティービーワンダーを聴き始めて。あの人も目が見えないから。CDも15枚くらい持っていて、ピアノもその頃から始めました」
海羽ちゃん「私は4、5歳の頃ブルーハーツが好きでした。歌は苦手だけど楽器とか演奏するのは好きで、ピアノは三浦くんがやってるのを見てやりたいなと思って始めました」

山田さんの熱心な想いと音楽の力に導かれ、小学三年生になった年、青い鳥への一歩を踏み出した海羽ちゃんと光聖くん。

光聖くん「初日は緊張しまくって、本当にやばかった。でも二日目には、来年も絶対参加しよう!て思いました。初年度はとにかくピアノが気になって、この弾き方は岩佐さんだ、白石さんだって考えたりしてました」
海羽ちゃん「最初はただ曲が好きとか歌うの楽しいなって思って。歌っていくうちに、先生のアドバイスでみんなの歌い方が一気に変わるのを感じるのが面白かったり、歌うのは難しいけど全員で綺麗に重なるとすごくうれしいです」
山田さん「先生方が他のパートの指導をしてる時も、今なんて言いました、ってずーっと聞いてきたりして(笑)。難しいニュアンスもユーモアを交えて分かり易く伝えてくれる、先生方の指導に夢中だったところもありますね」

広がる交流の輪

楽曲の持つ魅力、講師の先生方からの学び、そしてもうひとつ、様々な世代の参加者が集う青い鳥の環境は、二人にとって新しい扉を開くきっかけになりました。

山田さん「盲学校の中では慣れた人との付き合いが中心になりがちで、二人とも初めての場所に行ったり人に会ったりは苦手な方でした。でも青い鳥に来て、初対面の人と話したりも割と緊張せずに出来るようになって。色んな世代の人と関わる中で慣れてきたっていうのはあるかな、と」
光聖くん「そうですね。三年生の時に比べたら、同級生とか割とすぐ話せるんですよね。隣の小学校との交流の時とかも。青い鳥でもお友達ができましたし」
海羽ちゃん「青い鳥の稽古の時は三歳年上の人が隣にいるんですけど、その人とも普通に話せて。昔だったら絶対無理でしたね。幼稚部の時の交流会では、がっちがちで誰とも喋れなかったですもん」

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2013年、2人が初めて出演した青い鳥の公演後ピアノの白石さんと。
初年度は緊張したけれど、四年経った今は舞台を楽しめるようになってきたといいます。

三人それぞれにとって、また教師と生徒という関係に於いても多くの気づきに溢れる一カ月半。今後の展望についても、語ってくれました。

山田さん「こういった場所に教え子と参加する機会はなかなかないので、特別な時間ですよね。近い目標としては、今の学校に通う中学の三年間までは、一緒に青い鳥に参加し続けたいですね」
光聖くん「学校では見られない山田先生も見れて楽しいです(笑)。高校生になっても出たいし、学校が変わってもここで会える可能性もありますよね」
海羽ちゃん「私も出られる間は出たいです。それから大人になったら、山田先生とご飯に行っておごってもらったり(笑)おごってあげたりもしたいです!」

(※)日ごろ劇場に足を運ぶ機会の少ない方々にも舞台芸術に触れていただく普及活動。
「青い鳥」でも例年病院や学校などでのミニコンサートを実施しています。

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