―今回清水邦夫さんの戯曲を選んだ理由は?
もともとシェイクスピアなどの古典を自分の劇団でよく創っているのですが、富士見でつくるのであれば、やっぱり翻訳を介さない、日本人のものをやりたいと思って。それで近代くらいまで遡って探していた中に清水邦夫さんの戯曲があったんです。清水さんと同時代の方たちって、あまり清水さんの作品を上演していないんですよ。それで、ちょっとやってみたいと思って。
何本か戯曲を読んだ中で、「あなた自身のためのレッスン」に決めたのですが、ホール(劇場)が舞台になっているのは大きい理由の一つではあります。戯曲の設定として学校やいろいろな場所があるわけですが、実際に上演される劇場と戯曲で設定されている場所との距離をどう取るかを考えるのが好きなんです。「あなた自身のためのレッスン」は、ホールの舞台上という設定なので、そのままといえばそのままですが、実際の劇場と劇中に出てくる劇場とはやっぱりちょっと違う。その辺を考える所から現実と虚構、といったことに触れられないかな、と思ったんです。内容も、登場人物が失った記憶を思い出していくんだけど、その記憶があっているか間違っているか誰も分からないっていう、現実と虚構が交差するようなものですし。作品のフィクション性と演劇の立ち上がり方とがかぶっているような作品だな、と。
**――「あなた自身のためのレッスン」の面白さはどんな所ですか?**
面白いなぁ、と思うのは...「分からない」っていう所ですね(笑)。戯曲だけ読んだら本当に分からない。初演の時も、俳優さんと「全く分かんない...」って(笑)。でもこの間久しぶりに初演時のDVDを観たら、結構分かったんです。ついていけなくはない。積み上げては崩し、積み上げてはドーンとなり...という感じなのですが。
**――分からなさ=解釈が多様、という感じでしょうか?**
そうですね。一つの文脈で解決できるものではない。いろんな見方ができるともいえるし、いろんな見方しかできない、とも言えると思います。
**――そうした性質の戯曲を演出する上で意識したことは?**
僕としてはとても分かりやすく、シンプルに創りました。照明の使い方などもシンプルに丁寧に。最初は素舞台、つまり劇空間になる前の舞台から始まり、それが時間をかけていく中でどういう風に劇場になっていくか、それを意識しました。内容は結構とっちらかったりしていますが、舞台上がどんどん劇場化していくという流れ自体は結構シンプルです。
**――「舞台上が劇場になっていく流れ」というのは?**
一番大きいのは観客の設定の仕方ですね。客席の使い方は重要かも。実際に舞台上の観客が座っている客席もあれば、目の前の使われていない客席もあり。舞台上の人間関係でも、芝居をやっている人やそれを見ている人がでてきたりするので、舞台上で見ている人(観客)と、それを観ている自分(観客)という関係性もあったり。作品が進む中でどういう風に観客が現れるか、そこだけを追ってみると別の楽しみ方もあるかも。
**――観客に対する意識は多田さんの作品において重要なところだと思うのですが、お芝居の体験性について多田さんはどう考えていますか?**
どんな演劇もそれを観ることはある種の体験だと思います。でもそれを観た人が「体験だった」って思うかどうかはまた別。観た人が、自分はただ一方的に観ただけではなくて、双方向的な「体験」だったっていうのを意識しやすくしたい、というのはあります。双方向的な体験だっていうのを観客が意識している状態、意識しているというよりも、そうなっている状態を作品として創りたい。ディズニーランドみたいなものですよ(笑)。みんなディズニーランドに行くと「これは体験だ」って思っているでしょう?極端な体験ではありますが。
**――双方向の体験についてもう少しお話していただけますか。お芝居の体験という時に、舞台上の誰かに自分を投影するような体験もあると思うのですが、双方向な体験はそういった体験とは異なるものですよね?**
観客席が安全な場所だとは思っていない、というのはあると思います。安全だと投影したりできるんだけど、人と人が一つの空間にいるのだから、そこの関係はもうちょっとイーブンでいたいなぁ、というのがあって。別に客いじりがしたいわけではないですし、俳優がお客さんに話しかけたり客席を見たりすることも今回はないですが、俳優もあなたがそこにいることは知っていますよ、いないことにはしていないですよっていう。観客をいないことにするなら劇場で観る必要はない、とまでは言わないけれど、やっぱり劇場にきて観る一つの面白さは観客がいて、舞台と客席の間にある関係性がある、という所かな、とは思います。それが双方向的な体験に繋がってくるのかな。
**――「あなた自身のためのレッスン」を読んで、リアルとフィクションの問いについて考えたいと感じたとのことですが。多田さんにとってのフィクションとは?
**
「演劇的」ということです。もちろん何が演劇か、というのはありますが。実際にそこにある、お客さんが座る客席を「客席化」するようなことですね。最初は客席扱いしていないのを、少しずつそう見えるように身体を開く、そうすることで客席が客席になっていく。
今回の作品は構造的には劇場の中に劇場がある。つまり二個劇場があるんです。冒頭では普通に劇場にお客さんとして入ってくるんだけど、入り方が普通と違うので、そこから「自分たちは何なんだろう」っていう感覚が生まれます。そして、劇が進むにつれ、次第にもう一つの劇場=市民ホールの姿が見えてくる。そういう風に劇場を二つ創るというか、観客として入って来たはずが良く分からなくなって、最終的にもう一回「あ、お客さんだったのか」って思うっていう。
僕が一番好きなのは冒頭のシーンなんですが、あの部分で価値観がよく分からなくなるんですよね。私たちは今どこにいるんだろう...みたいな。
**――多田さんの作品には、しばしば時間への問いがあるように思いますが、今回も演劇の時間性といったものへの意識はありますか?**
戯曲がある時はあんまりつっこめないですね。この台詞とこの台詞の間を一時間かけようとか、できない。でも時間をかけていく中で観え方が変わってくる、という意味では、多少は時間への意識があるかな。戯曲がある時は台詞がタイムラインになるんですが、ある一定の長さのシーンを使ってどこまでフィクションを立ち上げるのか、ペース配分というかタイミングというか、そういった意識はあると思います。
**――舞台上舞台で行う作品を様々な場所で上演するということで、会場ごとに調整しなくてはいけないことが多いと思います。苦労されている点はありますか?**
苦労は今からするんですけど...(笑)
ただ、いろいろな場所にいけるというのはとても嬉しくて。
お客さんが劇場について考える事ができる戯曲は他にないので、こういった作品を公共ホールが創る意義は大きいと思います。内容的にも各地で違った反応がかえってくるんじゃないかと思っていて、それも楽しみですね。
舞台スタッフさんや俳優さんの苦労はありますが、元々劇団でツアーする時も、劇場に入った後、全部変えちゃうということはあります。同じセットで同じテクニカルで持っていったからといって同じように上演できることってないので。むしろ同じ事をやっちゃうと同じ作品にならなくなっちゃう。だから同じ事をするために違うことをする、同じ作品にするために違うことをするっていうことはよくあります。
**――初演を経て見えて来たこと、ツアーにあたって変わった事はありますか?**
初演を経て見えた事はたくさんありますね。作品って、上演が終わってみないと分からないことっていっぱいあるので。戯曲が古いので...すごく古いわけではなく微妙に古いので...、初演の時は戯曲との距離感をなるべく現代化しようとしていました。戯曲が持っている古くささの中で、ここは現代に繋がっている、という解釈でつくっていこうと。でも今の気運として、現代化というよりも1970年の空気をもうちょっと入れたいな、と思っていて。70年代の空気とお客さんの関係っていうのも面白いかもしれない、と。変わるとしたらそこが一番変わるんじゃないかな。 あとはえーと、家具が増えるとか...(笑)
**――70年代の空気というのは?**
例えば「あなたA」の役って、戯曲上はかなり学生運動に入り込んでいるというか、「戦うぞ」っていう意思の強い人なんですが、初演の時はそういった性格を強く出さなかったんですね。現代の男子ってそういう感じじゃないので。だから台詞としてはガーガー言うんだけど、なんかナヨッとしている、というか。それを今回はナヨッとさせないとか。
というのも、やはり震災以降、去年と今年では世の中が変わっていますよね。初演の時から、再演する時は世の中が相当変わっているだろうな、とは思っていて、お客さんがどれくらい変わっているだろうか、自分たちが考えていることがどれくらい変わっているだろうか、っていうのが去年からすごく楽しみでした。
**――観客のみなさんへのメッセージ**
チラシにも書いたんですけど、僕が公共ホールで活動しているエネルギーの源は、いかに芸術作品をお客さんにすんなり届けるか、ということです。日本人って芸術が苦手なんですよね。文化とか芸術って言われると、ちょっと引いちゃう感じがありますが、それに対して「そうじゃないんですよ」と言いたいからこういう仕事をしているんです。
今回の作品ももちろんそう。だから劇場に来るのが好きな人はもちろん絶対に来て欲しい。そして例えばその人の友達とか、普段演劇を観ないけど観せたいなーと思っている人がいたら、そういう人をぜひ連れて来て欲しい。家でテレビを見ているのとは違う、芸術の楽しめる要素を入れたいなと思って創っているので、芸術が苦手な人、演劇が苦手な人にも来て欲しいです。
初演の時も高校生とか70代くらいの方とかも来て下さって、おもしろく観て下さっているので。「分かりやすい」とか「誰にでも楽しめる」って言っちゃうとまた違うんですけど。ぜひドキドキしに来て欲しいです。
撮影:青木司