わたしの青い鳥
わたしの青い鳥物語
「青い鳥というコミュニティ」

第6回

「青い鳥というコミュニティ」

赤司一義(あかし・かずよし)さん(43)
赤司義樹(あかし・よしき)さん(15)

客席から舞台へ、年に一度のお祭り
父親と息子、息の合った歌声で男声パートを支えてくれている赤司一義さんと義樹君。初めての参加は2007年に義樹君一人で、でしたが、実は「参加する前から家族全員が青い鳥のファンだった」とか。

一義さん「もともと、仲の良いご近所さんが親子で出演されるという事で、家族で観に行ったんです。そうしたら、その後1ヶ月くらい頭の中でメロディが鳴っていて(笑)。気づけば家族全員青い鳥のファンになっていました」
義樹君「観に行った後に、一緒に参加しない?と誘って貰って。単純にメロディが好きだったのと、なんとなく楽しそうだな、と思って参加し始めました」

 きっかけはなんとなく、でもいつしかそれがなくてはならないものになる事もある。その後義樹君はほぼ毎年参加、小学生~高校生という多感な時期を青い鳥と共に過ごしてきました。

義樹君「毎年メンバーは変わりながらもお馴染みの方も多くて、新しい発見と変わらないものの良さと、その両方を実感します。梅雨の時期=青い鳥、がもう自分の中で年中行事のようになっているので、参加出来ないとなんだかモヤモヤして(笑)。受験の時期は勉強との両立で色々と葛藤もあったけど、それでもなんとかして参加したい、という思いが強かったです」
一義さん「僕自身も3年前から参加するようになりましたが、勉強や仕事をやりくりしながら毎週末ここへ来るのは、大変な面もあります。でも、それでもなぜ参加するのか?と考えると、またこの場所に帰って来たいな、という思いなんです。青い鳥はひとつのコミュニティ=街というか、話をした事はなくてもなんとなく皆顔はわかるし、共にひとつのものを作り上げる仲間であり、見守る家族でもあり。山笠とかのお祭りに近い気もしますが、一年に一度、ここに帰って来たいんですよね」

vol6akasi_phB.jpg こちらは5年前、義樹君と妹さんが一緒に参加した際のお写真。参加するメンバーは変われど、
ステージと観客席と、いつも家族皆で青い鳥を愛してくださっているそうです。

 父親として、そして同じ参加者として、常に義樹君を見守ってきた一義さん。青い鳥を通して義樹君の成長を感じる場面もあったようです。

一義さん「小学生の頃から年代問わず色んな方と交流させて貰っているお陰で、普段の生活や学校でも、比較的大人ときちんと話が出来るというか、そういうところはあるようです。参加当初はソプラノで歌っていた息子も一昨年にはついに同じパートになって、隣で歌っていると自分の声?と思う位に声がそっくりなんです(笑)。そうやって、一緒に歌えたからこそ気づけたこともありますね」

共に感じる、幸せのかたち
 休みの日にはキャッチボールをしたり日曜大工をしたりと、普段から仲の良いお二人。そんな親子のコミュニケーションの中に、青い鳥も自然と息づいていました。

一義さん「僕の人生のモットーは"enjoy my life"。結婚して子供が生まれてからは"enjoy our life"になりましたが、日常をとにかく楽しもう!という自分の思いと、日々にあるささやかな幸せに気づくこと、という青い鳥のテーマには共感するところがあって。もともと生きるという事について考える事は多かったですが、青い鳥に参加して、より"幸せに"生きるという視点で考えが深まった気がします」
義樹君「小学生の頃は、"幸せ"という言葉を発する事はあっても、その意味は全く解っていませんでした。でも、毎年青い鳥に参加する事で、幸せって何だろう?と自然と考えるようになっていて。父のモットーのお陰もあってか(笑)僕は1人で部屋に居たりゲームをしたりっていう事があまりなくて、家族で買い物に出かけたりご飯を食べたり、そうやって皆でいる事が多いんですが、そういう時間を"幸せだな"と認識出来るようになったのは、青い鳥の影響かなとも思います」

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