2017.02.22 20:21
「しなやか見渡す穴は森は雨」製作発表会見レポート
1月末に実施した製作発表会見では、作・演出のノゾエ征爾さん、劇場プロデューサー能祖將夫、そして113名の応募者からオーディションで選出された16名の出演者が登壇しそれぞれの思いを語りました。冒頭能祖から、今回のタイトルはノゾエ氏が出演者の頭文字を一字ずつ組合せ"このメンバーだからこその作品にしたい"という強い想いを込めて考えた、という意図が明かされると感嘆があがる場面も。会見でのコメントを一部ご紹介します!
北九州芸術劇場プロデューサー/能祖將夫
このシリーズは、この北九州という処にこだわって作品が創れないかなという事で2008年に「青春の門 放浪篇」(原作:五木寛之/脚本・演出:鐘下辰男)を立ち上げました。改めて僕らがこのシリーズで何がやりたいのかと問うと、北九州というものをモチーフに、それは九州のモチーフのひとつである役者も含めこの土地の風土、雰囲気、におい等から、日本を代表するあるいは若手中堅の最前線を走る作家・演出家が一体どんなドラマを紡いでくれるのか、という事が見たいんですね。
ノゾエさんの世界観は僕の感覚で言うとビターファンタジーというか、地上3cmくらいに浮遊している登場人物がよく出てくる。その人物達が葛藤を抱えていたり、苦難や苦渋を背負っていたり、愛が欲しかったり。それが何か可笑しな事になっていくのですが、それをシリアスでもなくコメディでもなく、微妙なところで描く世界観が好きですね。それとノゾエさんは、舞台美術に何か物語を象徴させていく。例えば前回のドラマだと糸を使ってそこに人間関係を集約させてみたり、抽象度の高い舞台美術ですが、今回も果たしてどのような舞台美術になるのか、という事も楽しみだなと思っています。
作・演出/ノゾエ征爾(はえぎわ)
最初の構想では北九州ではなく東京を舞台にして、色んな人達がそこで葛藤し生活し、最後に北九州の人達だったって明かすとどうなるかな、と考えていました。離れて気づく事、なくして気づく事、そういう視点から故郷(くに)や人への想いというものを描こうと。でも2日ほど稽古をやって、その構想と何かが合わないなと思ったんです。それで、稽古時間にみんなで北九州のまちを散歩しました。旦過市場とかよく歩くような場所ではなくもっと生活臭のあるところ、あえて見どころがある場所でなく家が立ち並ぶところとか。レトロなものや古いものが点在している感じも魅力は感じるんですけど、もっと思ったのは、装ってない、整理されてない、まんまがあるという感じが凄くあって。息遣いじゃないですけど、何かが沁み込んできて、リアリティが生まれた。それは具体的に脚本にどう活かすというよりは、根底に流れる血として、その衝動から出て来るものだと思います。僕からすれば遠く離れた土地に来て、普段接しない人々と接する中で湧き起こった衝動をちゃんと作品に転嫁していくべきだし、どこに行きつけるのか、今凄く楽しみです。
北九州で生活している、特殊なところにいる人というよりは、身近な人達。例えば女子高生とか、普通に街を歩いていたら困った状況に遭遇する男性とか、そういう幾つかの人間関係が派生して大きな群像劇になっていく。何回か北九州に来させていただく中で、何か曇っているような、グレーのようなものをどこか感じていて。曇っている=負のイメージではなく、そこから何か晴れやかに見渡すような感じが作品で描けたらと思っています。僕の作品には穴がよく出てくるんですが、それはハマったり落ちるものだったり、時には生まれるところだったり、光が差し込むところだったり。そういう生きづらい中で光を見ている、見つけられるような作品にしたいなと思っています。
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人が人を想う気持ち。それは愛。恨み、妬み、哀しみ。愛は時折かたちを変える。
生きづらい。息、しづらい。それでも人は、人を愛し、人の愛に触れ、人の愛を求めて、前に進む。
北九州で目撃したもの・・・愛と滑稽のそばで、男女16人が体験する強烈な一日。
そしてまた、今日を生ききる。
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