2008年11月18日

10月3日(金)

戯曲を読み解く講座第3回です。。

今日と第4回の講師は宮崎の「劇団こふく劇場」主宰の永山智行さんです。
今回講座のテーマに選ばれたのは「岸田國士」
戯曲賞に名前を冠する劇作家です。
ここで「岸田國士の脚本を実際に読んだり、上演されたものを見たり演出や出演したことのある人は?」と質問がありました。
講座に出席の方でも2名のみ手が挙がりました。
岸田國士はとても有名な劇作家ですが、かなり昔の劇作家だけに現在手に入る出版物がほとんど無くなかなか読む機会がありません。しかし、新国立劇場をはじめ作品は現代でも上演されています。
永山さん自身の岸田國士との出会いは大学の頃友人が「葉桜」を上演するということで初めて読んだそうです。
岸田國士の戯曲は上演したことはまだないそうですが、劇団の稽古では使っているそうです。
1890年明治23年に生まれた岸田國士の劇作家としての活動期間は意外と短く34歳から約10年ほどだそうです。この10年短編を中心に60〜70本ほど書いています。
昭和に入ると文学座を創立しその後彼の活動は演出や評論、小説に移っていったそうです。
戯曲そのものは大正末期から昭和初期にかけて書かれた物が多いようですが、現在上演しても古臭くないモダンさがあると先生は言われます。
今回の講座では彼の戯曲の持つ普遍性を探っていけたらと言われました。

画像:10月3日戯曲講座3回目
横にあるのは岸田國士全集の一部です。

ここで前回の講座終了後に課題として配られた台本4篇が登場します。
今日は講座の出席者で2班に分かれ、それぞれこの台本2編を取り出して「岸田國士戯曲賞」最終選考会を行うことになりました。
選考される戯曲は以下のようになります。
A班:「葉桜(岸田國士作)」「混じりあうこと、消えること(前田司郎作)」
B班:「紙風船(岸田國士作)」「少女仮面(唐十郎作)」

画像:10月3日戯曲講座3回目
それぞれ真剣に選考中です。

10分程度各自でどちらが良いか考える時間が与えられた後、A班より選考会が始まりました。
「葉桜」に対する意見
・ 面白いが時代背景がつかめない
・ タイトルが良い。核心に触れそうで触れない、現代には無い清らかさがある。
母子のうそつき加減が良い。
・ 岸田國士が岸田國士戯曲賞を取れなかったらこの賞ってなんなんだ。
・ 好みからするとこちらだが時代的に古めかしい、今の生活形態が変わっていて広がりが無い。現代はもっと女性が強くなってきている。
・ 古めかしい言葉や考え方とかが逆に読んでいて面白い。登場人物は二人しかいないが背景で起こっていることを想像していくことが面白い。
・ 小説なら母娘の会話は面白いが上演するとどうだろうか。母親の感覚が現代と比べても普遍。
・ 物語の裏を想像するとおもしろい。
・ この(作品に登場する)母親が嫌いだからいやだ。
・ 古くて新しい。

「混じりあうこと、消えること」に対する意見
・ 家族の会話が出来ない人たちがもがいている感じがリアルで共感できる。
・ 個人的に面白いと思うので二作品を比べるとこちらの方が良い。岸田國士は違う賞でも良いのでは。
・ 公園が水の中という設定が面白い。男女、親子、生きる死ぬといった問題がタイトルのようにボーダレスになっている。感覚鋭い作品。
・ 話の設定や内容が飛びすぎていて整理がつかない。
・ 自分の感覚で面白いと思うのはこちら。舞台上でやってみても面白そうだと思った。
・ 演出家によっては観客がまったく(舞台に)ついていけない可能性もある。
・ 「団欒」って言葉は古くないでしょうか?
・ 「団欒」はいまこそ必要
・ 不条理劇のようだが、脚本の形態として不条理は新しくない。
・ 設定が受け止められない、受け止められる人には面白いだろう。

最初に自分たちがどちらを支持するのか一人ずつ述べますが、そのときは「混じりあうこと〜」が優勢でした。
しかし、今回は「討論すること」が目的なのでその後は多数決ではなく、自分たちで話し合いの上どちらかの作品に賞を決めることになっています。
それぞれ受け止め方が違いますので当然評価も分かれます。
審査基準をどこに置くかについても難しいです。
新しさがあることが選考基準なのか。
面白い、というだけで賞を与えても良いのか。
そういった意見も出てきました。

画像:10月3日戯曲講座3回目
熱い議論が続きます。

お互い譲らずすこし膠着する場面も見られましたが、白熱した議論は「葉桜」の作者である岸田國士が賞をもらわないのはやはりおかしいという意見となりA班の結論としては「葉桜」が受賞となりました。

ここで少し休憩を挟み、引き続きB班のによる選考会です。
「紙風船」に対する意見
・ 空想と現実の繰り返し、夫婦の単純なありきたりな関係しか描いていない。
・ 夫と妻の日曜日の間が持たないままの会話に子供がいない夫と妻の関係性が見える。
想像の旅のシーンで読んでいるだけで風景が見える。
・ リズミカルな安定感、安心感が見られるが、この人に賞をあげてもこれ以上の境地にはたどり着きにくいのでは。
・ 二人の状況がとても良くわかる。別に仲が悪い夫婦関係を書いているわけではない。
・ この夫婦はこの先もあまり変わりがないことが読める。
・ 斬新さは無いが技術的に優れている。空想の作り物のなかから真実が見えることがある。現実的なものは強い。
・ 自分の生活の中にある風景をわざわざ劇場に足を運んでまで見たいのか。
・ シンプルなほうが色をつけやすい。
・ 戯曲の中に話が収まってしまう。
・ 茶の間劇。限られた空間の狭い範囲でしか共感できない。
・ 初めて読んだ時に古いと思ったが今は違う。
・ 自分の生活の中であるものを読みたい、傍にある物語として改めて見る。
「少女仮面」に対する意見
・ きわめて非現実的。作家の頭の中が見てみたい、構成として空想と非現実の内に過去とか観念的なものが入っていて見るのに強い印象を与える。(実際に舞台で)見る戯曲として優れている。
・ 話の内容についていけず読みはしたけれど頭の中に「?」しか残っていない。
・ 喫茶店は地下にある設定で、実際アンダーグラウンドな人たちも時代が変わっていく時に地下にもぐってしまっている。「変わりたくない」という意思の表れか。仮面をつけたり性別を偽ったりするのも変わりたくないという人の内側の話の気がする。
・ 物質に対して記憶が濃密に残っていて、発展性が感じられる。
・ ほかのテキストは読めたけどこれは無理、とても苦痛でした。特に水道の男の件、現実的な名前と空想のところがきつい。
・ 時代性が色濃く、今読んでもらいたいと思う。
・ 社会性がある。逆転する関係性が面白い。
・ 部分部分教育的に向いてない。
・ 疑問符が頭の中にたくさん浮かんで何が言いたいかそれを考えると「また見たい!」と思う。
・ キャラクターに個性があり、いろんな要素がある。
・ 若い人と年配の人、男と女、対照的な組み合わせが多く面白い。
・ 要素がたくさんありすぎて、逆に引いていきたい。
「少女仮面」は4作品のなかで一番個性が強く、そのことでやはり支持するかしないか意見がはっきりと分かれました。
「紙風船」も夫婦の関係性をどの様に捉えるかによって評価が分かれているように感じました。

画像:10月3日戯曲講座3回目
こちらも熱い議論となりました。

B班は選考基準よりも「少女仮面」と「紙風船」があまりに違う戯曲だったのでそのことについての議論が中心だったように感じました。
最終的には強い個性が印象的だった「少女仮面」が選出となりました。

それぞれの選考が終わったので永山さんの講義に戻りました。
選考というのは価値観の違いもあるので大変難しいそうです。
実際に「少女仮面」が岸田戯曲賞を取ったとき(昭和45年)もかなり審査員の論議を呼び、演劇界の事件になったともいわれています。
ただそれ以降岸田國士戯曲賞の選考作品に対して、色々な広がりが出てきたとも言われます。

岸田國士は決して「いい話」を書こうとしていたわけではなく、基本的に彼が書いていたのは「コント」なのではないだろうか、というのが永山さんの見方だそうです。
彼の視点は対象を突き放し見ており特に何かのテーマを訴えていたわけでもありません。
何も終わっていない何も解決していないただ日常が続いていく。
どれだけ空想しても今の現実は変わらない。
その何も終わらず、答えが出るわけでもなく気持ちが動くわけでもない、それでも生きていかなければいけない日常を書いている。
そこで登場人物と同じ気持ちだと笑えなくなりますが、離れて見ることで笑えるようになるのが岸田國士の戯曲です。
だから共感する視点で読んでしまうと話がまとまってしまうだけになってしまうのではと永山さんは言われます。
「コント」なので上演時間が短い短編が多いのだそうです。
何も起こらない中を喜劇的に見るのは前回のチェーホフもそうでしたが、劇的と呼ばれてない話を取り上げた日本では最初の劇作家であるそうです。
物事を喜劇的に見る体質を持っていたのが岸田國士だそうですが、そのあたりの詳しい話は次回ということで今回の講座は終了となりました。

Posted by mt_master at 14:22