2012.11.09 10:30
作・演出 藤田貴大さんインタビュー【前編】
いよいよ公演まであと5日。今日明日は、本作の作・演出を手掛ける藤田貴大さんへのスペシャルインタビューを【前編】【後編】に分けてお送りします。作品のこと、藤田さんの演劇観について、たっぷりと語って頂きました!
◆北九州生活も早1ヶ月が経過しましたが、北九州での生活はいかがですか。
午前中は街を歩いて、昼は稽古して、夜は飲みに行って(笑)...っていう生活がずっと続いてますね。飲みながら役者のエピソードを拾ったりして、それが結局シーンになったりもしてます。
◆今作は"20人が、街から海に向かってひたすらに歩き、それが、ただやみくもに歩いているようで、実はそれぞれの"喪失"を探して歩いている―"というお話ですよね。
そうですね。それぞれが街の事や自分の記憶を語りながら、色んな伏線をはりまくって、最終的に何が浮かび上がるのか―という感じです。
稽古始めの頃は、この土地の持つ記憶や役者から出てくるものを待ちながら創ってる感じだったんですけど、稽古も佳境に入ってきて、今はやっぱり、自分と重ね合わせていく部分があって。この土地のリアルな記憶や、ここで何が起こったのか?という妄想の部分と、自分が味わった喪失とかが、いい具合に混ざってきてますね。出発点が僕の記憶じゃない、という点はこれまでのマームとジプシーと大きく違うところです。
僕が劇を創る時の尺度として、例えば、劇中である病気の事を取り扱っていたとして、その作家さんが、実際に同じ病気の人に観て貰っても大丈夫なように創っているかどうか、っていうのが、昔から僕の中にはあって。今回だとやっぱり、北九州の人に観て貰った時にどう思われるか、っていうのがあります。そこでノーと言われたらそれで終わりだし、とはいえ、綺麗事を言ってそれでOKと言われたい訳でもなくて、この街にある現実みたいなところもちゃんと突きつけたい、そういう尺度で創っています。
劇場に僕の作品があって、そこにお客さんはやって来て、2時間位立ち止まって、また出て行く。つまり、僕の作品を通過して、小倉駅だったり、北九州の街の何処かに戻っていく訳じゃないですか。僕の作品を観終わった後、また街に投げ出された時にどう感じるか。それがあって、やっとちゃんと公演として成り立つんだと思うし、それが楽しみでもありますね。
◆今回、役者はほとんど本名で物語に登場しますよね。
これは今年度に入ってからなんですけど、物語を進めるうえで、まず実名を名乗るところから始めて貰った方が、なんとなくすんなり来た時期があったんです。
劇って、僕は3つのレイヤーがあると思ってて。例えばまず、尾野島さんっていうドキュメンタリーが1人いて、そのうえで、僕のテキスト上の尾野島さんという役を演じる。つまり、尾野島さんは尾野島さんであって、尾野島さんでない。そしてもっとかけ離れた所に、僕のストーリーというものがある。その3つのレイヤーをぐちゃっと混合して、フィクションとノンフィクションのハーフの立場を取る上で、実名が有効だったというか。3つのレイヤーを成立させるうえで、シグナルとして実名を出す事が、良い働きをするんです。
◆藤田さんが役者さんに求めているものは、ありますか?
端的にいうと、演じていない部分でのアイデンティティーみたいな、その人ならではの、俳優としてではなく人としての匂い、みたいなのを求めてますね。特別な事を求めてはいないし、どれだけ僕や作品と真摯に向き合ってくれるか、作品に対して、どれだけその人の体力を使ってくれるか、ってだけです。
やっぱり僕は舞台を観る時、こいつらほんと本腰で創ってるなってとこを見たいんですよね。僕もおちゃらけて創りたくはないし、役者もそれ相応の体力を使ってそれに応えて欲しい。なんか今、全体的に愚直さが足りない気がしていて。不器用なやり方かもしれないけど、その不器用なやり方にこそ、僕より年上の演出家さんたちが描く舞台より、もっと先の新しいところがあると、僕は信じています。
【後編に続く】