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[戯曲講座] ヤクニタタナイ戯曲講座
第五回(8月18日(土)14:00〜18:00)

 第5回目となる今回も、互いの課題を約1時間かけて読んだ後、2グループに分かれて意見を出し合うことから始まります。この段階にくると、受講生によってはまだまだ冒頭のシーンであったり、かなり終盤に近づいていたりと、書いてきた作品の長さがそれぞれ異なっているようです。
 各グループの中では、「前に書いていたスケッチ、おもしろかったのにどうなった?」とか「今後どんな展開の予定?」といった質問から、「作品の長さにこだわらずに、まずはたくさん書いて、後に削ったほうがいいのでは?」とか「説明情報を提供しすぎでは?」といったアドバイスまで色々な会話が交わされています。これに対し、ある受講生からは「人の作品を読んでみると、自分の作品のキャラクター設定など顧みることができていい」、また「自分の作品への反応を見ることができていい」といったコメントが出ています。これらの意見交換のほかにも、作品へのコメントだけでなく、書く過程の話もそれぞれしていて、今後の展開のアイディアを得ている様子です。

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 一度休憩を挟み、このグループでの意見交換について永山さんから一言。「言われた意見を必ずしも聞くことはなく、聞き流すことも必要」ということでした。

 その後、永山さんをインタビュアー(記者)として、各受講生を新人劇作家と見立てて各作品PRの模擬記者会見を開きました。もし記者会見があったとしたらこんな感じ、といった風です。この模擬記者会見では取材を受ける作家は「分かりません」をNGワードとして記者の質問に、お客様が観に来てくれるように答えるものです。

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 実際の記者会見を踏まえて永山さんはこのような感じで話始めます。
「今日は新人劇作家の〇〇さんにお越し頂きました」とか「〇〇先生は、現在新作を執筆中ですがどの様な作品ですか?」といった感じで、取材を受ける新人劇作家役も少々照れ気味でした。
 この模擬記者会見はつまり、自分の書きたいポイントが解っていないと相手に上手く伝えられないことから、自分が取材を受け、自分の言葉で説明することによってストーリーを整理し、確認するという効果があります。
 この他にも永山記者から、
・「どのような設定ですか?」
・「登場人物を紹介してください」
・「〇〇先生は、どういう思いを作品の中で描きたいとお思いですか?」といった
取材が続きました。模擬記者会見について永山さんは、今、上手く答えられなくてもここを自分が掴めてないということが解ればそれでOKとおっしゃっています。
 そして作品を創作する上で、不条理・理不尽な事はあるけれども、それを受け入れるしかなく、それが芸術であって、祈りであるということ、また、不条理であることを認め、それでも生きたいと思うことが祈りであって欲しいという風におっしゃっています。作品を書くモチーフ(動機)についても「A=B」であるというのではなく、「AはなぜBなのか?」という切り口で進めて欲しいということもおっしゃっています。
 具体的には「戦争は悪である」という書き方ではなく、同じ事を書きたいとしても視点は「戦争は何故起こるのか」という風にして欲しいということです。それは後者の切り口でなければ説教じみたスタイルになり、後者を切り口として選択することで、作品としての強度がより強くなり、結論の出ない理不尽さにどう向き合うのかという覚悟が必要になるとおっしゃっています。

 その後は個々の作品についての永山さんからのコメント・質問・今後の展開へのアドバイスへと移り、各自、方向性を掴んだ様子でした。

Posted by 北九州芸術劇場(N) at 04:19 PM

[戯曲講座] ヤクニタタナイ戯曲講座
第四回(8月4日(土)14:00〜18:00)

 前回では各自、作品の“冒頭シーン”を書いてくるという課題が出されましたが、書いてきたそれぞれの課題について、2グループに分かれて意見を出し合うことから第4回の講座が始まりました。“こういったところが面白い”とか“ここはどういうこと?”という話を受講生同士で互いの作品について話し合うわけです。
 しばらくこのような時間をとった後に、この意見交換についての永山氏からのアドバイスがありました。今日もらった他の人からの意見は、それはそれとして受け止めること、自分の作品が他の人と違うと思ったらそれは“しめしめ”と思っておくこと・・・です。
 
 また、作品を書き始めてから改めて分かることや、気をつけて欲しい事もあるということで、ここでこれまでの3回の講座の内容の復習がありました。まず、演劇による表現にはたくさんの方法があること、そしてそれらたくさんの中からこの講座では、永山氏自身のスタイルについてお話をしているということ、これらがこの講座の前提となっています。
そして、
・せりふは「話しことば」である。
・せりふは「詩」である。
・せりふは「情報」である。
ということをホワイトボードに書きながら説明され、戯曲は報告書や小説とは異なり、「話しことば」を“書く”という矛盾した作業をしていることなどを改めておっしゃいました。その中でも作品を書く際は、人と違う自分自身のスタイルで書きながらも多くの人を納得させるように書く必要があることや、観客に説明としての情報をただ与えるのではなく、観客自身が自分の中で画が作れるようにすること、視点を切り取るという作業によって、より観客は想像力を使って作品に参加できるようになるということなどについても詳しく復習しました。
 また作品の素材として、
・場所
・時間
・登場人物
・登場人物の関係性
・プロット
・モチーフ
を挙げ、人と違う視点を持っていることを大切にしなければならないことや、それが他に理解されない覚悟も必要なこと、更にはそれが孤独なことについても説明されています。また、何でも分かりやすい現代的な切り口では観客が想像力を働かせる場がなくてつまらないことや一度作ったものでも、いつでも捨てる勇気が必要であること、そして自分にしか書けない、今かたちにしたいという強いモチーフが、これから来るであろう冒頭シーンを書き終えた後にくる辛さを乗り越えられる糧になるということについてもお話されました。
 また、古典主義的なものの見方にこだわって、既に4分の3くらい出来事が終わってしまったところから話が始まるスタイルについても復習され、これからのアドバイスとして、早く次のシーンに行きたいと思っても、観客の想像力を信じてある一つの場面に凝縮するということをして欲しいとおっしゃっています。

 その後、各自の課題へのコメントが永山氏からあり、「設定を説明することに終始しているのでは?」とか「この場面はどういうこと?」といったやり取りが交わされました。これによって各受講生達は今後の作品への手がかりを得たようでした。

Posted by 北九州芸術劇場(N) at 04:09 PM

[戯曲講座] ヤクニタタナイ戯曲講座
第三回(7月28日(土)14:00〜18:00)

 早くも3回目を迎えた今回の講座は、前回に出された宿題の発表から始まります。まず、各受講生が書いてきたスケッチをそのまま、本人以外の受講生たちがその場で役を割り当てられて読みます。
 
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 その後は前回予告された通り、永山氏が立ち位置など演出をなさって、再びスケッチが読まれます。各受講生のスケッチがどんどん続けて形となるわけですが、今回は読んだ後に書いた本人にいくつか確認をしたり、ということもありました。永山氏の演出は立ち位置だけでなく、「もっと落ち着いた感じで」とか「遠くを見て」などにも及びます。
 全員のスケッチが読まれた後は、再度黙読の時間が割かれ、面白かった点についてなどそれぞれの作品について感想を出し合い、また“ここはこういう意味?”といった感じで質問も出ました。
そしてスケッチ(紙に書かれたもの)が実際に人によって喋られ、形になったということについて、書いた本人の感想も聞かれました。受講生の中には、実際に自分のスケッチが喋られるのを聞いてみると、台詞が説明的な所があったと感じた方もいたようでした。

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 受講生達の感想に対して永山氏もアドバイスや、考え方をお話してくださるのですが、例えば“言葉も出ないわっ”なんて普通は言わないような言葉をあえて言わせることも手段として有り得るということなどもおっしゃっています。
 またスケッチに関する質問に対して、作者がその設定をまだ決めてはいないと答える場面も多々あったのですが、“とある〇〇”といった感じで詳細に関してはとりあえず保留・架空にすることもできるが、作家としてはある程度範囲を決めておかないと周りに見えてくるものが異なってくるのでという理由で、この時点ででも設定は必要とのアドバイスもされていました。
 このように各スケッチについて受講生と永山氏の意見などが話しあわれるので、自分のスケッチに対しての意見を聞くだけでなく、他者のスケッチについてのアドバイスまでも各自のものとすることができる点でとても面白い場となったようです。
 宿題のスケッチの発表等が終わった後は、もう一つの宿題「夕鶴」について話が移ります。前回、木下順二作「夕鶴」を読んでくる課題が出されましたが、ここでは「鶴の恩返し」と「夕鶴」を比較することによってドラマの構造について学びます。
 実際この両者では登場人物や始まり方も異なります。「夕鶴」は「鶴の恩返し」の終盤から始まり、一日と一晩という短い時間を切り取っています。このように時間の推移が短く・場所も一定であり、話の筋も1つであるという書き方を古典主義的手法と呼び、それとは逆に長い時間の推移があり、場所も変化し、話の筋も多様に書くという手法を非古典主義的手法と呼ぶ、という説明がありました。
 また、この戯曲講座では古典主義的手法で創作して欲しいということも永山氏はおっしゃっています。具体的には、創作するときは非古典主義的であっても、今回は古典主義的手法のものの(=話の)切り取り方で描いて欲しい、完全に古典主義的にする必要はないけれども、多くてもシーンは3つ、場所は一定で、色々なところに飛ばないで描いてみて欲しいということをおしゃっています。
 更にこの古典主義的手法についての説明ですが、古典主義的手法は登場人物たちの人生のある時間を切り取るということであり、登場人物たちのそれぞれ生きてきた人生を感じ取ることができれば劇的緊張感が生まれるので、切り取った時間以外の部分もきちんと想像して描く必要があるともおっしゃっています。
 このように、古典主義的手法では人生の中からある時間を切り取って描く訳ですから、それ以外の過去に何があったのかということに関しては、謎にして観客の興味を仕向けるということもあり得る方法で、また「夕鶴」のように会話で過去を描くということも可能であると説明をなさってます。では過去と反対に未来はどう描くのかという事ですが、問題を投げかけるという事、過去に起こったであろう謎と未来の問題を1つのシーンに凝縮していくということをおっしゃっています。

 次回までの課題は“冒頭のシーン”を書いてくるということで、1時間もので、多くて3つのシーン(1場面でもOK)ということです。また、優秀作品2本は12月にリーディング公演という形になるということも発表されました。

Posted by 北九州芸術劇場(N) at 03:56 PM