LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望

撮影:木寺一路(FU.)

 
LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望

北九州芸術劇場プロデュース「LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望」公式ブログ

作・演出:藤田貴大(マームとジプシー)
出 演 者:荒巻百合、大石英史、折元沙亜耶、小林類、佐藤友美(劇団C4)
出 演者: 田口美穂、田中克美(超人気族)、中嶋さと(14+)、仲島広隆
出 演 者:中前夏来、鍋島久美子、野崎聡史(ZERO COMPANY)
出 演 者:船津健太、的場裕美、森岡光(不思議少年)、安永ヒロ子、李そじん
出 演 者:/尾野島慎太朗、成田亜佑美、吉田聡子

公演日程:[北九州公演]2012年11月13日(火)~11月18日(日)
公演日程:[東京公演]2013年3月8日(金)~3月10日(日)

公演詳細情報はこちら

2012.11.10 15:22

作・演出 藤田貴大さんインタビュー【後編】

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◆藤田さんの作品は、舞台上に何か事件を起こすのではなく、観客のイメージの中に何かを立ち上げていく、という感じがしますね。

 そうですね。なんかどんでん返しがある訳でもなく、そうだったのかって解決する事でもなく、ずっとそれを眺めてたら、土地がぼんやり浮かび上がってくる、みたいな事になっていくといいなと思ってます。インスタレーションとか現代美術的なニュアンスが強いのかもしれない。

 でも、抽象的な事は1回もしてないから、これをやってればお客さんはお客さんの頭で考えてくれる、っていう確信はあるんです。見せ方が独特なだけであって、何も難しい事をやってる訳じゃないし、決して分かりづらくはない。丁寧に見ていってくれれば、そういう事かって事が分かって来ると思うので、それを楽しんでほしいですね。

◆見せ方が独特、という要素の一つにリフレインという手法もあると思うのですが、このリフレインにはどういう役割があるのでしょうか。

 役者の感情や身体性を助長させるためのものでもあるし、観客にイメージを想起させ易くする手段でもある、ふたつの側面がありますよね。

 感情や身体性の助長という点でいくと、やっぱり、目の前でやってるのは生身の人間だって事を、お客さんにも分かって欲しいんですよね。"ヤバいこの子、ほんと息切れしてる"っていうその脆さも含めて、ストーリーとは別個のところで、私達は生身の人間と対峙しているんだ、っていうところに至りたい。でもその脆さの見せ方の下品か上品かとか、隙を見せるタイミングみたいなのはあって。"あーやっぱここで倒れこんだ"みたいな、それが僕は楽しい(笑)。

 でも、リフレインってなんか大それた感じで言っちゃうけど、僕はそんな大それたものではないと思ってて。例えば、J-POPの歌詞とかでも、絶対にサビは同じフレーズを言いますよね。3回繰り返したら、3回が3回とも、やっぱりクライマックスに向けてとか、聴こえ方が違ってくる。結局それと同じ事だと思うんだよね。1回ポロっと聴いたサビよりも、3回目のサビの方が心にきたりするじゃないですか。人ってもう1回聴きたいという欲もあるし、そこですよね。

◆もう一つの見せ方の要素として、音や響、リズムに重きが置かれている、という点があると思うのですが、これはどういう所からきたものなのでしょうか。

 演劇には今、ポストドラマっていう言い方があって。それは、ドラマを見捨てた後、という事なんだけど、例えば、ストーリーが優れてるものって小説とか映画とか、世の中に溢れてるじゃないですか。で、そういうストーリーを今演劇でやってもどうなんだろう、と考えていた時代が、僕はゼロ年代(2000年~2009年)だと思うんです。

 例えば、僕が今やってるのも、魚町銀天街から旦過市場の交差点の事だったり、凄くミニマリズムな事を繰り返しやってて、それって一見、ストーリーがないように見えるじゃないですか。例えばオイディプス王とか、王様がどうのみたいな大それた話は、僕はやらないんですよ。

 ただ、2010年あたりから、そのポストドラマっていう時代のその先が見たくなってるんですよね。もう一度、ドラマとかストーリーを見直していいんじゃないか、みたいな。その時に、演劇じゃない要素を何か入れるっていう事が、僕の劇に一番必要かもしれないって思ったんです。やっぱり、先輩達が描けなかった部分を描きたいっていう思いもあるし、音楽って要素を入れないと越えられない先輩達がいたって事だとも思います。

 人間の日常生活って、部屋での行動とかを達観して見てみると、大体動くコースが決まってて、そのコースを辿る歩行のリズムとかがあるんですよ。ミュージカルって、そういう部分を掬ってるとこがありますよね。例えば映画でも、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の最初のシーンで、主人公が働いてる工場内の音がだんだんリズムになって、それから歌になってく、みたいな。今回の舞台でも、皆がひたすら歩いてたり、転がってみたり、脈略のない動きのように思えるけど、実は一人ひとりの行動のリズムを掬い出して、ミュージカル的な事をやってるのかもしれないな、とも思います。

◆この「LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望」をシリーズ化したい、なんていうお話もありましたが。

 5年毎に北九州でやる、みたいな(笑)。やっぱり、土地にはどんどん移ろいがあるし、そうやって変わったところを追えるのは面白いですよね。その位、今北九州に魅力を感じてます。舞台監督の森田さんとか、大好きだし(笑)。

 やっぱり、作家はどこにでも行くべきだと僕は思ってて。っていうのは、僕は北海道でずっと演劇をやってて、東京に引け目を感じてたんですよね。一生懸命やってはいるけど、これって東京の水準からすると凄くダサいかもしれないし、舞台にしろ笑いのセンスにしろ、色んな事が北海道は遅れてると思ってたんです。

 でもこれからは、僕が中学高校の時よりも、もっと日本全国まんべんなく、演劇を観れる時代が来るんじゃないかと思うし、それは、僕の夢としてやりたいんですよね。だからどんどん作品を地方に持って行きたいし、それを若い子達に見せたい。でもやっぱり、東京でも頑張ってなきゃダメだとは思ってて。東京でも頑張って、東京で一番面白いって言われてるものを地方にも持って来て「これが今一番面白いものなんだ」って感じて欲しいし、見せっぱなしじゃなく、ワークショップとか色んな形で、そこの土地の人と関わるって事が、必要だなと思いますね。

 前後編に分けてお送りした藤田さんのインタビュー、いかがでしたでしょうか?いつものお稽古場でも、そしてこのインタビューを通しても感じたのは、藤田さんの演劇や人への"愛"でした。ゲームや野球が大好きな少年のように、演劇への純粋な愛が、藤田さんの作品を観た時の"ワクワク感"の源に他ならないのかもしれません。

 北九州でこの作品を観る事が出来るのは、この機会しかありません!言葉・音楽・光の色彩、そして目を見張る舞台美術や映像に溢れた最先端の劇空間を、ぜひ、体感しに来てください!

2012.11.10 09:49

よく食べます

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●お名前をお願いします!(フリガナ付きで)
李そじん(リソジン)です。

●ニックネームはありますか?
そじん、そじこ、しか。

●出身地と、そのまちの事を少し教えてください。
生まれは東京都の町田市です。育ちは神奈川県横浜市の長津田というまちです。長津田は、のんびりとした雰囲気のごく普通な田舎町です。でも電車は3つの路線が通っていて、交通の便がよかったです。駅前にマックはないけれど、急行電車が止まります!

●これまでの経歴を教えてください。
小学校から高校まで部活で演劇部でした。大学でも演劇を専攻しています。普段は東京の小劇場でお芝居しています。

●「これだけは誰にも負けない!」特技はありますか?
ないです...でも韓国語は、少しできます...!

●お休みの日はどんな風に過ごしますか?
休みの日は、バイトしたり、人と会って遊んだり、家で眠ったりしています。

●北九州の好きなところや印象、好きな場所などを教えてください。
最近、旦過市場でよく買い物をしているのですが、野菜やお肉や魚が、新鮮かつ安くて素敵です!

●藤田さんは、どんな方ですか?
演劇の人!って感じがします。

●では最後に、この作品のPRをお願いします!
北九州でつくった作品です!東京公演も楽しみですが、北九州でこそ、みてもらいたいものになっています。どうぞ、劇場にいらしてください!

2012.11.09 10:30

作・演出 藤田貴大さんインタビュー【前編】

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 いよいよ公演まであと5日。今日明日は、本作の作・演出を手掛ける藤田貴大さんへのスペシャルインタビューを【前編】【後編】に分けてお送りします。作品のこと、藤田さんの演劇観について、たっぷりと語って頂きました!

◆北九州生活も早1ヶ月が経過しましたが、北九州での生活はいかがですか。

 午前中は街を歩いて、昼は稽古して、夜は飲みに行って(笑)...っていう生活がずっと続いてますね。飲みながら役者のエピソードを拾ったりして、それが結局シーンになったりもしてます。

◆今作は"20人が、街から海に向かってひたすらに歩き、それが、ただやみくもに歩いているようで、実はそれぞれの"喪失"を探して歩いている―"というお話ですよね。

 そうですね。それぞれが街の事や自分の記憶を語りながら、色んな伏線をはりまくって、最終的に何が浮かび上がるのか―という感じです。

 稽古始めの頃は、この土地の持つ記憶や役者から出てくるものを待ちながら創ってる感じだったんですけど、稽古も佳境に入ってきて、今はやっぱり、自分と重ね合わせていく部分があって。この土地のリアルな記憶や、ここで何が起こったのか?という妄想の部分と、自分が味わった喪失とかが、いい具合に混ざってきてますね。出発点が僕の記憶じゃない、という点はこれまでのマームとジプシーと大きく違うところです。

 僕が劇を創る時の尺度として、例えば、劇中である病気の事を取り扱っていたとして、その作家さんが、実際に同じ病気の人に観て貰っても大丈夫なように創っているかどうか、っていうのが、昔から僕の中にはあって。今回だとやっぱり、北九州の人に観て貰った時にどう思われるか、っていうのがあります。そこでノーと言われたらそれで終わりだし、とはいえ、綺麗事を言ってそれでOKと言われたい訳でもなくて、この街にある現実みたいなところもちゃんと突きつけたい、そういう尺度で創っています。

 劇場に僕の作品があって、そこにお客さんはやって来て、2時間位立ち止まって、また出て行く。つまり、僕の作品を通過して、小倉駅だったり、北九州の街の何処かに戻っていく訳じゃないですか。僕の作品を観終わった後、また街に投げ出された時にどう感じるか。それがあって、やっとちゃんと公演として成り立つんだと思うし、それが楽しみでもありますね。

◆今回、役者はほとんど本名で物語に登場しますよね。

 これは今年度に入ってからなんですけど、物語を進めるうえで、まず実名を名乗るところから始めて貰った方が、なんとなくすんなり来た時期があったんです。

 劇って、僕は3つのレイヤーがあると思ってて。例えばまず、尾野島さんっていうドキュメンタリーが1人いて、そのうえで、僕のテキスト上の尾野島さんという役を演じる。つまり、尾野島さんは尾野島さんであって、尾野島さんでない。そしてもっとかけ離れた所に、僕のストーリーというものがある。その3つのレイヤーをぐちゃっと混合して、フィクションとノンフィクションのハーフの立場を取る上で、実名が有効だったというか。3つのレイヤーを成立させるうえで、シグナルとして実名を出す事が、良い働きをするんです。

◆藤田さんが役者さんに求めているものは、ありますか?

 端的にいうと、演じていない部分でのアイデンティティーみたいな、その人ならではの、俳優としてではなく人としての匂い、みたいなのを求めてますね。特別な事を求めてはいないし、どれだけ僕や作品と真摯に向き合ってくれるか、作品に対して、どれだけその人の体力を使ってくれるか、ってだけです。

 やっぱり僕は舞台を観る時、こいつらほんと本腰で創ってるなってとこを見たいんですよね。僕もおちゃらけて創りたくはないし、役者もそれ相応の体力を使ってそれに応えて欲しい。なんか今、全体的に愚直さが足りない気がしていて。不器用なやり方かもしれないけど、その不器用なやり方にこそ、僕より年上の演出家さんたちが描く舞台より、もっと先の新しいところがあると、僕は信じています。

【後編に続く】

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