May 05, 2007

本日のお相手は寺山修司さん
[3:ブンゴーと散歩でも]

不思議な世界に迷い込みたい気分のときにぴったりです。
寺山様と言えば、「天井桟敷」に代表される演劇活動のほかに、映画、詩、評論と多方面において活動をされていた方ですが、今日は寺山様の詩について語ってみましょう。
今、私の手元には「寺山修司少女詩集」という文庫があります。少女の愛を謳った詩が多く収録されています。
寺山様の世界はメルヘンでありながらその根底に、人間の持つある普遍的な残酷さとでもいいましょうか、そういった人間の無意識のうちの本質を楽しむ、いわゆる一口でいうならシュールレアリスム的要素を多分に含んだ世界だと言えます。とても優しい母の顔をしていると信じていた童話が、実は非常に残酷な人間の本質を述べた話であるように。どんなに美しく優しいものにも醜く冷酷である一面が潜んでいるという事実に私たちは恐怖を感じます。

だけどもしも、人間が本当に善良で正しい行いばかりをする生き物だったらこんな詩を楽しむなんて感覚は到底ないだろうし、そういった自分の残酷さを認識しているからこそ人は寺山様の詩に内心、共感してしまうのでしょう。

私が大学で演劇を初めて間もないころ、いくつも演劇のビデオを見せられましたが一番深く感動したのは「天井桟敷」のビデオでした。高校の教科書に「縁日にひとりおじさんが迷い込んで辺りは風車がくるくる回っているだけ」といったイメージの寺山様の短歌が載っていましたが、心当たりのある方はこの詩の名前を教えてください。

Posted by 鵜飼秋子 at 11:33 AM

May 17, 2007

終わり
[2:崩壊する日々]

劇団 二番目の庭 第11回公演 「崩壊」、無事終了しました。
ご来場いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。
そして。

関わってくれたみんな、ほんとうにどうもありがとう。心から感謝します。

感想は様々でした。
「難しかった」という意見も多かったし、「今まででいちばん面白かった」と言ってくださった方もいました(ちなみにウチの親は「難しくてつまんなかった」とのことでした)。

思い出作りを繰り返しているわけではないけれども、この作品は、本当にこれから先の支えになるものになったと思います。
まあ暗い話ではありましたが。

「崩壊」は、これまで以上に藤本瑞樹自身のことを描いた作品なのではないか、と言われることもありましたが、そんなことはありません。
僕は死ぬほど苦しんで書いてはないもん。
「書き続けていくよーん」というような決意は少しは込めましたが、笑ってドキッとしてグッときておやっと思って90分経って「あー観たみた」と言って劇場を後にしていただけるようなエンターテインメントを創りたかっただけです。
その試みが成功だったのか失敗だったのかは、ご覧になった方々のご感想に委ねますが、今回は集まってくれたメンバーと共に、その試みを一切の妥協もせずに成し遂げることができました。

ほんとにいいカンパニーでした。

公的なブログをこんな締め方してしまってすみませんが、それでも、最後だから大目に見てくださいということで、書かせてください。

はやまん。
3年連続庭のNGTに出てくれてありがとう。最後コントじゃなくてごめん。
よっしー。
すごく好きな役者さんになりました。よっしーがこれから先出る舞台は、全て観に行きます(という気持ちはあります)。
織田くん。
参加してもらえてほんとによかったです。織田くんはもっと評価されるべき。
梅さん。
……また、ぜひ……。
河村。
河村だけ呼び捨てでごめん。河村の成長がそのまま庭の成長となってます。
今井くん。
最年少でよくがんばった。今井くんがいたからこそいいチームができたと思います。
野口さん。
すごく庭のひとっぽかったです。いいかげん具合にみんなが救われました。
キコさん。
打ち上げで聞いた「芋飲めばいい」「後悔すればいい」は忘れません。

そして、
太田さん。
すごく難しい作品だったと思いますが、引き算で挑んでくださってありがとうございました。
塚本さんと雑賀氏。
チーム26ペアで括ってすんません。揃っていい仕事してくれたと思います。
タツオさん。
カッコいい曲をありがとうございました。またぜひ頼んます。
奥武さん。
親離れしていく子供を見るような目で付いててくださってありがとうございました。
カンパニースタッフじゃないけど麻子さま。
特に小屋入り後のサポート、ありがとうございました。長期にわたりお世話になりました。

最後に。
舞台監督の森田さん。
粋な心遣いと素晴らしいスタッフワークで、カンパニーの土台をしっかりと作っていただき、ありがとうございました。現場の空気がよかったのは、森田さんのおかげでした。

すばらしいカンパニースタッフに恵まれ、ほんとによい公演でした。
それもこれも、本番が終わり、打ち上げが済めば、全部終わってしまいます。
たまに振り返ることもあるけど、とりあえずは、前に進んでいきます。

最後の最後がこんな感じの文章でごめんなさい。
最後まで読んでくださった方、ほんとうにありがとうございました。

また、どこかで、違う作品で。

終わり

Posted by 藤本瑞樹 at 11:15 PM

May 26, 2007

最後のお相手は萩原朔太郎さん。
[3:ブンゴーと散歩でも]

なぜ、私が「月に吠える」に決めたのかというと、それは「序」に魅かれたからです。
「序」は「月に吠える」のいわゆるまえがき部分。なぜ朔太郎が詩をつくるのかそういったことが書かれています。

詩、というもに私自身、普段から親しみがあるのかというとそういうわけでありません。
題材を探している過程で、父がふと「萩原朔太郎は面白い」とふと言ったことが耳に残っただけで、手に取らずに終っていたのだろうと思います。
朔太郎の第一印象は「切れ味抜群」。私は後腐れのないものとか、簡潔なものとか、シャープなものを好む傾向があるので、朔太郎は拾い読みした時点で気に入ってしまいました。

詩人はナルシストだ。まあ、今でもそう思いますが。
ナルシストの自慰がおもしろければそれは立派な芸術になるわけで。朔太郎を読み込めば読み込むほど「酔ってんじゃねえ」と彼に対する私の悪態が増えたのと同じだけ、つい顔がニヤけてしまう回数も増えていったわけです。

人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。・・・私のこの肉体と感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も私一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。

「序」のこの部分を読むと妙に興奮します。
「月に吠える」は朔太郎の処女詩集。
他のものに比べて青さが残るこの詩集が好きです。

さかな公団「月に吠える」にご来場の皆様ありがとうございました。

Posted by 鵜飼秋子 at 03:02 PM