2:崩壊する日々 

March 08, 2007

始まり

文豪、と言われてすぐに思いついたのが、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治だった。
なんだかどれもあまり善い感じがしない。
死の匂いがする。
変に賢そうで、すんなりと受け入れ難い。

「人間失格」――駄目だ、思春期ならまだしも、25過ぎてこんなの読んでたら、その状態の方が失格のような気がする。
「こころ」――思春期ならまだしも。あと、血がどばって出るから駄目。
「蜘蛛の糸」――上のふたつに比べるとなんか軽っ。

ああ駄目だ駄目だ、もう行き詰まってしまった。
なんてこったい文豪。興味をそそられないよ。
そう思いながらとりあえず手にとってみたのが、芥川龍之介の晩年の作品だった。

「或阿呆の一生」。
すごくアホなギャグっぽい小説だったらどうしよう。
そんなわけないよな芥川。
そういえばよく知らない芥川龍之介の晩年。
自殺したらしいということは知っている。
「地獄変」とか「蜘蛛の糸」とか、タイトルと大体の内容くらいは知っている。
でも、「歯車」とか「河童」とか、タイトルは知ってても内容は全然知らない。

とりあえず、読んでみることにした。
崩壊する日々は、こんなふうに割と穏やかに始まった。

Posted by 藤本瑞樹 at 02:55 PM

March 15, 2007

才能

芥川龍之介の作品を読みながら気づいたことがある。
彼は短編を得意としていたということ。
僕もどちらかというと短いお話が好きで、最近はオムニバス形式のものばかり書いていたので、なんだか好感が持てた。

作品を読み進めるのと並行して、芥川の生涯について調べてみた。
そしてそのうちに、彼の死にまつわる奇妙な噂を知ったのだが、それについてはまたいずれ。

彼には要するに才能があった。
そして、その才能にふさわしいだけの努力をしていた。
一行を書くために書いては消し、書いては消し、数日かけてやっと小説の書き出しができた、なんてことも珍しくはなかったらしい。
彼の作品に付き纏う文章の重みは、そのまま彼が原稿用紙に向かうときの思いの重さだったのだろうと思う。

それほどの思いを持って作品を書いていたため、彼の評価が芳しくなくなってからの落胆は相当なものだったのだろう。
身体的にも精神的にも疲弊していた彼は、やがて「もうひとりの自分」、所謂ドッペルゲンガーというものに悩まされるようになっていた。

つづく

Posted by 藤本瑞樹 at 05:34 PM

March 22, 2007

ドッペルゲンガー

世界には自分と全く同じ顔の人間が7人いて、全員に会うと死ぬんだって、なんていう噂を小学生のころに聞いたことがある。
根拠がないのに「死ぬんだって」という展開になるのは、小学生の言うことだから仕方ない。
けれども、そうでなくてもドッペルゲンガーにはどことなく死のイメージが付き纏う。

「無自覚に行っている行動」なのか、「自分によく似た人の行動」なのか、あるいは全くの妄想なのかはわからないが、芥川は実際にドッペルゲンガーの影に怯えていたらしい。
全然会った覚えがない人に「やあ、こないだはどうも」なんて言われたら、それはそれは気持ちが悪いものだろう。

そしてそれは、彼の晩年の作品の中にもたびたび妄想や凶器の片鱗として登場することもあった。

芥川が死の直前まで取り組んでいた作品で、「人を殺したかしら?」(のちに「夢」と改題)というタイトルの未定稿がある。
ドッペルゲンガーを題材に扱った作品なのだが、これについてはまた次回。

つづく

Posted by 藤本瑞樹 at 12:10 AM

March 29, 2007

死を巡る噂

芥川の死を巡っては、こんな奇妙な噂がある。

芥川は晩年、「人を殺したかしら?」という奇妙なタイトルの、ドッペルゲンガーに関する作品に取り組んでいた。
夢の中で人殺しをしてしまった画家の話で、もしかしたら夢ではなく実際に人を殺したかもしれないと怯えるといった筋なのだが、芥川は、この原稿の出来を良しとしていなかった。

ある日、編集者がやってきて、この書きかけの原稿を見つける。
手に取ろうとすると、芥川は「やめろ!その原稿に触るな!」と叫び、編集者の目の前で表紙に朱の×を書き、ぐちゃぐちゃにして破棄してしまった。
その姿に、編集者は呆気に取られていたという。

しばらくして、芥川は服毒自殺をしてしまう。
その傍らには、以前破棄したはずの「人を殺したかしら?」の原稿が、完全な状態で置かれていた。
確かに、編集者の目の前で、朱の×をつけ、破棄したはずなのに。

何故完全な状態の原稿があるのか?
それは誰が書いたのか?
いつ書いたのか?
芥川が晩年脅かされていたという「もうひとりの自分」が書いたとでもいうのか?

ドッペルゲンガーを題材とした作品を巡る噂なだけに、謎はいよいよ深まるばかり。

つづく

Posted by 藤本瑞樹 at 11:08 PM

April 05, 2007

人を殺したかしら?

「人を殺したかしら?」というその奇妙なタイトルの作品の内容は、こんな感じである。

画家であるわたしは、不眠症などに悩まされ、疲れていた。

ある日為替をとりに行った帰りに、ふと制作慾を感じ出したわたしは、Mという家からモデルを呼ぶことにした。
そのモデルは顔は綺麗ではなかったが、体は―殊に胸は立派だった。
彼女に気安さを感じつつも、たまに見せる何かの拍子には目さえ動かさないその姿に、妙な圧迫を感じることもあった。
気乗りがしないというわけではないけれども作業は捗らず、わたしは彼女の威圧を受けている感じが次第に強まっていた。

ある日わたしはこんな夢を見る。(以下抜粋)

わたしはこの部屋のまん中に立ち、片手に彼女を絞め殺そうとしていた。(しかもその夢であることははっきりわたし自身にもわかっていた。)彼女はやや顔を仰向け、やはり何の表情もなしにだんだん目をつぶって行った。同時にまた彼女の乳房はまるまると綺麗にふくらんで行った。それはかすかに静脈を浮かせた、薄光りのしている乳房だった。わたしは彼女を絞め殺すことに何のこだわりも感じなかった。いや、むしろ当然のことを仕遂げる快さに近いものを感じていた。彼女はとうとう目をつぶったまま、いかにも静かに死んだらしかった。――
(以上抜粋)

そんな夢を見た次の日、いくら待ってもモデルはやってこなかった。
そのうちにわたしは、十数年前の出来事―わたしの生活の中に、「わたし自身が少しも知らない時間」があることを思い出させるような出来事を思い出していた。
夢の中でモデルを殺した。
けれどもそれが、夢ではなかったら?

次の日もモデルはやってこなかった。
不安になったわたしは、とうとうMの家を訪ねる。
彼女を訪ねていった往来も、わたしには何ヶ月か前(あるいは何年か前)に見た夢のようにも思えた。

(以下抜粋)
それから先の夢の記憶は少しもわたしには残っていなかった。けれども今何か起れば、それもたちまちその夢の中の出来事になり兼ねない心もちもした。………
(以上抜粋)

その小説はここで終わっている。

つづく

Posted by 藤本瑞樹 at 10:00 PM

April 12, 2007

河童

小説「歯車」の中には、ホテルで一心不乱に「河童」という小説を書く場面がある。

精神病患者の話す妄想?として、河童の国のことが事細かに語られる。
生活・宗教・風俗・芸術などなど、ありとあらゆる物事が河童とその世界に置き換えられ、風刺されている。
我々が馬鹿馬鹿しいと思うようなことを、河童は真剣にやっていたり、また、我々が真剣にやることを河童は馬鹿馬鹿しいと思ったりする。

芥川の「河童」に出てくる河童たちは実に人間らしくて、たとえばきゅうりを食べたりはしない(いや、食べてるかもしれないけど、描写はない)。
コンサートにも行けば詩も書くし、出産だってする(たぶん夜営んでるんだろう)。
口から卵を吐いたりはしない。

そんな実は人間っぽい河童が、庭の「崩壊」にも出ます。
あの人とあの人が演じます。
お楽しみに。

つづく

Posted by 藤本瑞樹 at 02:02 PM

April 19, 2007

書く

何故お芝居に関わる生活を送っているんだろう、と今でもたまに考えることがある。
高校の時は、もっと違う形で、もっと意義が欲しいみたいな感じで「何故演劇なのか」なんてことを考えていたような気がするけど、今は、あのころよりは、なんと言うかちょっと消極的だ。
要するに、「芝居なんていう時間がかかる割に経済的にはリターンの少ない物事に、なんでわざわざ関わっちゃったのかなあ」という意味合いで考えるようになったのだ。

劇団を作ってもう7年になる。
作ったころの気持ちなんて、もう忘れてしまった。
初期衝動だけでやってられるものではない。
現実も見えてくる。
理想も変わってくる。
能力や人材の幅が広がってくる。
出会う。別れる。
7年経って、変わったことだらけだ。
変わっていないことと言えば、河村がまだいることと、時間がかかる割に経済的リターンが少ないこと。
そして、これは当たり前すぎて気付きにくいけど、おそらくとても大事なことだと考えていることなのだけど、まだ、劇団を続けているということだ。

相変わらず劇団は続いている。
リターン少ねえなあとか時間も手間もかかるなあとか言いながら、そういう現実を抱えながらも、それでも、劇団は続いている。
続けている。

作ったころの気持ちなんて、もう忘れてしまった。
それでも、だ。
それでも、劇団は続けていく。
そこに大きな決意は特にない。
続けていく感覚が当たり前のものとしてある。
そこに「何故演劇なのか」なんていうクエスチョンとアンサーは特にない。
あるのは、「何故、書くのか?」というシンプルな問いだけだ。

我々は、何故、表現し続けるのか?
芥川の晩年の生(と死)は、その答えのひとつを教えてくれるような気がする。

つづく

Posted by 藤本瑞樹 at 11:53 PM

April 26, 2007

崩壊する日々

そうして僕は戯曲を書き上げた。
「歯車」というタイトルの、自分で書いていても奇妙な感じのする本だ。
おもしろくなくはないのだろうと思うけど、「こ……これは……すごい傑作ができてしまった!」という感じは微塵もなく、でも、確実にこれまでの僕が書けなかったもので、うーん。
すごくおもしろいという感覚はなく、でも、おもしろくなくはないという感覚があるだけに、自分の中でも収まりが悪い。
とにかく奇妙な感じがする。
たとえるなら、
「子供生まれたんだけど……俺にも嫁にも似てないんだよね」
という感じだ。
子供がいないのに「感じだ」と断言するのもあれだけど。

ドラマドクターのアドバイスが入り(詳しくは11日(金)19時公演終了後のアフタートークで話すと思います。お楽しみに)、第2項は「崩壊」というタイトルで書き換わった。
物書きである「僕」の、崩壊していく精神をおもしろおかしく描いたつもりだ。
何から手をつけたらいいのかわからない、厄介な戯曲。
それを、これまた手のつけようがないなあというほどのユニークな俳優たちに演じてもらう。
舞台は、白の線で地図のように仕切られただけの空間。

崩壊する日々ももうすぐ終わりを迎える。

つづく
(更新遅れてすみませんでした)

Posted by 藤本瑞樹 at 09:47 PM

May 03, 2007

歯車

終わりの風景を、このところずっと見ている。

色彩のある夢を見る。
歯車の廻る音が聞こえる。
そういえばレインコートを着たひとをよく見る。
なんでレインコートなんか着てるんだろう。
耳鳴りがする。
耳鳴り?
大きな透明の歯車が見える。
歯車の廻る音が聞こえる。
死の音が近づいてくる。
うるさい。
目が翳む。
頭が割れるように痛い。
不安が押し寄せてくる。
時計の刻む音がうるさい。
時計の音?
いや、これは歯車の廻る音だろう。
歯車?
歯車が何処にある?

幻か現実かもはっきりしない風景の中でのたうち回る狂人の最期を、少し離れたところから見ている。
死の風景を見ていると、生ってこういうことなのかなあと考えさせられる。

とりあえず僕は僕の書けることを書こう。
生死に関わるような切迫した状況にいるわけじゃないけど、とりあえず僕は、僕の書けることを書き続けていこう。
何故書くのかという問いの答えが、わかったところで書くことを止めるわけじゃないんだな、ということはわかったよ。

今回の公演は、そういういろいろを、あまり重々しくならないように面白おかしく切なく立ち上げています。
みんなには「変態たちの乱痴気騒ぎ」と言って宣伝してます。

Next Generation's Theater 2007 #002
劇団 二番目の庭「崩壊」

2007年5月11日(金)19:00
   5月12日(土)14:00/18:00
   5月13日(日)14:00
(※開場は開演の30分前)

みなさまのご来場、お待ちしております。
(次回は公演直前なのでお休みします)
(あと、また更新遅れてすみませんでした)

つづく

Posted by 藤本瑞樹 at 11:56 AM

May 17, 2007

終わり

劇団 二番目の庭 第11回公演 「崩壊」、無事終了しました。
ご来場いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。
そして。

関わってくれたみんな、ほんとうにどうもありがとう。心から感謝します。

感想は様々でした。
「難しかった」という意見も多かったし、「今まででいちばん面白かった」と言ってくださった方もいました(ちなみにウチの親は「難しくてつまんなかった」とのことでした)。

思い出作りを繰り返しているわけではないけれども、この作品は、本当にこれから先の支えになるものになったと思います。
まあ暗い話ではありましたが。

「崩壊」は、これまで以上に藤本瑞樹自身のことを描いた作品なのではないか、と言われることもありましたが、そんなことはありません。
僕は死ぬほど苦しんで書いてはないもん。
「書き続けていくよーん」というような決意は少しは込めましたが、笑ってドキッとしてグッときておやっと思って90分経って「あー観たみた」と言って劇場を後にしていただけるようなエンターテインメントを創りたかっただけです。
その試みが成功だったのか失敗だったのかは、ご覧になった方々のご感想に委ねますが、今回は集まってくれたメンバーと共に、その試みを一切の妥協もせずに成し遂げることができました。

ほんとにいいカンパニーでした。

公的なブログをこんな締め方してしまってすみませんが、それでも、最後だから大目に見てくださいということで、書かせてください。

はやまん。
3年連続庭のNGTに出てくれてありがとう。最後コントじゃなくてごめん。
よっしー。
すごく好きな役者さんになりました。よっしーがこれから先出る舞台は、全て観に行きます(という気持ちはあります)。
織田くん。
参加してもらえてほんとによかったです。織田くんはもっと評価されるべき。
梅さん。
……また、ぜひ……。
河村。
河村だけ呼び捨てでごめん。河村の成長がそのまま庭の成長となってます。
今井くん。
最年少でよくがんばった。今井くんがいたからこそいいチームができたと思います。
野口さん。
すごく庭のひとっぽかったです。いいかげん具合にみんなが救われました。
キコさん。
打ち上げで聞いた「芋飲めばいい」「後悔すればいい」は忘れません。

そして、
太田さん。
すごく難しい作品だったと思いますが、引き算で挑んでくださってありがとうございました。
塚本さんと雑賀氏。
チーム26ペアで括ってすんません。揃っていい仕事してくれたと思います。
タツオさん。
カッコいい曲をありがとうございました。またぜひ頼んます。
奥武さん。
親離れしていく子供を見るような目で付いててくださってありがとうございました。
カンパニースタッフじゃないけど麻子さま。
特に小屋入り後のサポート、ありがとうございました。長期にわたりお世話になりました。

最後に。
舞台監督の森田さん。
粋な心遣いと素晴らしいスタッフワークで、カンパニーの土台をしっかりと作っていただき、ありがとうございました。現場の空気がよかったのは、森田さんのおかげでした。

すばらしいカンパニースタッフに恵まれ、ほんとによい公演でした。
それもこれも、本番が終わり、打ち上げが済めば、全部終わってしまいます。
たまに振り返ることもあるけど、とりあえずは、前に進んでいきます。

最後の最後がこんな感じの文章でごめんなさい。
最後まで読んでくださった方、ほんとうにありがとうございました。

また、どこかで、違う作品で。

終わり

Posted by 藤本瑞樹 at 11:15 PM