何故お芝居に関わる生活を送っているんだろう、と今でもたまに考えることがある。
高校の時は、もっと違う形で、もっと意義が欲しいみたいな感じで「何故演劇なのか」なんてことを考えていたような気がするけど、今は、あのころよりは、なんと言うかちょっと消極的だ。
要するに、「芝居なんていう時間がかかる割に経済的にはリターンの少ない物事に、なんでわざわざ関わっちゃったのかなあ」という意味合いで考えるようになったのだ。
劇団を作ってもう7年になる。
作ったころの気持ちなんて、もう忘れてしまった。
初期衝動だけでやってられるものではない。
現実も見えてくる。
理想も変わってくる。
能力や人材の幅が広がってくる。
出会う。別れる。
7年経って、変わったことだらけだ。
変わっていないことと言えば、河村がまだいることと、時間がかかる割に経済的リターンが少ないこと。
そして、これは当たり前すぎて気付きにくいけど、おそらくとても大事なことだと考えていることなのだけど、まだ、劇団を続けているということだ。
相変わらず劇団は続いている。
リターン少ねえなあとか時間も手間もかかるなあとか言いながら、そういう現実を抱えながらも、それでも、劇団は続いている。
続けている。
作ったころの気持ちなんて、もう忘れてしまった。
それでも、だ。
それでも、劇団は続けていく。
そこに大きな決意は特にない。
続けていく感覚が当たり前のものとしてある。
そこに「何故演劇なのか」なんていうクエスチョンとアンサーは特にない。
あるのは、「何故、書くのか?」というシンプルな問いだけだ。
我々は、何故、表現し続けるのか?
芥川の晩年の生(と死)は、その答えのひとつを教えてくれるような気がする。
つづく
Posted by 藤本瑞樹 at April 19, 2007 11:53 PM
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