2006年04月21日

第9回 「つる」と「愛と平和」の関係
[3:鶴を折る日々 by 市原幹也]

先週の二番目の庭の公演を皮切りに、いよいよNGTも開幕しました。
今、北九州芸術劇場の稽古場で原稿を書いているわけですが、お隣の小劇場では、さかな公団の初日の幕が上がろうとしていたり。
我々の公演もいよいよ来週末となっていたり。
全3団体、共通のテーマ「愛と平和 Love&Peace」と闘いながら、いよいよ本番を迎えているわけです。
さて今日は、ぼくらに与えられたこのテーマ「愛と平和」とについて少し書いてみようと思います。

このテーマが与えられたのは、去年の秋。

まずは、「愛と平和」を咀嚼することから始めました。
それは、ぼくが生きてきたなかで体内に蓄積してきたすべてを「愛と平和」に向かって突きつける作業のようにも思えました。
街を歩く、風呂に入る、映画を観る、音楽を聴く、友達と喋る、夢を見る、人ごみに紛れる…。
些細な日常生活さえ全部「愛と平和」のフィルターを通して、さらに客観的に自分を見ている、というか。

次に、「愛と平和」を腹に落とし込んで消化してみます。
とても、とっても難しい作業でした。
どうやって飲み込んだかと言うと。
【「愛と平和」】な作品を作ることは避けました。
しかし、「愛と平和」の親友のような、あるいはライバルのような作品を作ってやろうと、腹に決めたのです。
つまり、「愛と平和」と、今から作る作品を並べることによって、その作品自体のパワーがさらに増す、というような。
「愛と平和」と並べることによって、その作品自体のイメージがさらに膨らむ、というような。
そんなものを探し始めました。

それでいよいよ、作品の土台となるテキストを探し始めます。
台本、小説、漫画、詩、などなど。
前述のイメージでいろんなテキストに当たってみました。
そして、出会ったのです。
「鶴の恩返し」に。
その出会いは、まず戯曲「夕鶴」からでした。
シンプルで、普遍性のある、きれいな日本語。
そこに、煮えたぎっているぼくのあたまのイメージがどんどんつながっていきます。
それらはまだ断片でしかないのだけれど、間違いなく「ここに何かある。」と確信しました。

そこからどんどんと資料などを集め、読んだり観たり聴たり。
稽古場で、役者と一緒に実験を繰り返してみたり。
「鶴の恩返し」を立体化する方法を模索します。
すると、その作業のなかから「愛と平和」に対抗できる武器が、たくさん見つかるのです。

それは、これまでの連載で書いてきた諸々のこと。
これ以上は、説明しませんね。

でも、ひとつ。
ぼくたちの作る、その友人でありライバルのような、ぼくたちの「つる」は、ここにきて、いよいよ。
「愛と平和」へ向かってのメッセージを放ち始めました。
そして気づいたのです。
「愛と平和」の引力の、本当を。
「つる」は、そこに引き寄せられます。
しかし、それを拒み、耐える「つる」がいたり。
あるいは、そこに従順に引き寄せられ、肩を寄せる「つる」がいたり。

みなさんと一緒に、その瞬間を劇場で、もっとたくさん見つけたいと願っています。
そのときまで、もうすぐ。
もうすぐです。
「つる」は、劇場でみなさんを、待っています。
どうぞ、ご期待ください。

さあ、次回の連載は、本番初日!
どちらも、お楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 2006年04月21日 09:44