3:鶴を折る日々 by 市原幹也 

2006年05月05日

最終回

のこされ劇場≡「つる 〜あの日飛び去った夕鶴によせて〜」に、ご来場いただいた皆様。
本当にありがとうございました。
大盛況のうち、無事に公演を終了することができました。
今回は、去年のご来場者数を大きく上回る、400名を超えるみなさんと。
この作品を共有できたことを、本当にうれしく思います。

さて、公演も過ぎ、少し落ち着いた日々のなか。
作品に関するご感想をいただいたり。
アンケートに目を通したり。
仲間と酒を飲んだり。
実に多くの方々と時間を共有した日々を通り抜け。
そして。
ひさしぶりにひとりになってみたり。
すると、ふと。
作品をつくりはじめた頃のことを思い出したりします。

民話「鶴の恩返し」を、現代に、劇場に、立体化してみる。

その決意から、演出プランを決めるよりも先に。
関連資料を集めるよりも先に。
メンバーに「これでいく。」と言うよりも先に。
この民話の持つ普遍性というか、民話というものは、普遍性があるゆえに現代に語り継がれているのだが、その揺るぎないメッセージを「愛と平和」に向かって、まっすぐぶつけてみたいという大きな衝動を手に入れた。
そして、瞬間、その先に、光を見た気がする。
その光に向かって、向こうには何かあると信じて、ただ、その光を見失わないように、突っ走ってきたような気がする。

そして、ぼくは、公演当日。
光に包まれたような気がする。

するとまた、向こうに、光が見えた気がする。

多分、ぼくらは、のこされ劇場≡は、こうやって、作品をつくり、みんなと出会い、走っていく。

そんなことがぼんやりとでも、あたまんなかに感じれる、五月、昼、ひとり。

皆様。
これからも、のこされ劇場≡を、どうぞよろしくお願いします。
この連載を読んでくださったみなさん。
会場に足を運んでくださったみなさん。
ぼくたちに力をくれた北九州芸術劇場のみなさん。
そして、のこされ劇場≡のみんな。
ありがとう。

それではみなさん、次の作品で出会いましょう。
そのときまで、さよなら。

(了)

Posted by 市原幹也 at 19:41

2006年04月28日

第10回 つるを飛ばす日

さて。
「つる 〜あの日飛び去った夕鶴によせて〜」いよいよ公演初日です。

稽古開始から約4か月。
ぼくは、この日を楽しみに走り続けました。
この作品を、たくさんの人と共有したい。
その願いが、叶う日。

メンバー全員で祈りを込めて、つくった作品。
それは、まるで、鶴を折るような日々の連続でした。

さあ、劇場に足を運んでいただくみなさんと一緒に。
いったい、どんな風景を見ることができるかな。

「愛と平和」なんて、果てのない宇宙のような、出合ったことのないモンスターのような、ぼくらひとりひとりでは太刀打ちできない、そんなものだった。

だからぼくらは「つる」をつくった。

ぼくらのつくった大きな「つる」を。
劇場にいるすべての人の祈りを乗せて。
春のよどみない青空に向けて。
ぶわっと飛ばしてみたいと思う。

今日、その瞬間が訪れたとき。
ぼくは、ずっと会いたかったものに、きっと出会うだろう。
きっと涙を流すだろう。

Posted by 市原幹也 at 19:39

2006年04月21日

第9回 「つる」と「愛と平和」の関係

先週の二番目の庭の公演を皮切りに、いよいよNGTも開幕しました。
今、北九州芸術劇場の稽古場で原稿を書いているわけですが、お隣の小劇場では、さかな公団の初日の幕が上がろうとしていたり。
我々の公演もいよいよ来週末となっていたり。
全3団体、共通のテーマ「愛と平和 Love&Peace」と闘いながら、いよいよ本番を迎えているわけです。
さて今日は、ぼくらに与えられたこのテーマ「愛と平和」とについて少し書いてみようと思います。

このテーマが与えられたのは、去年の秋。

まずは、「愛と平和」を咀嚼することから始めました。
それは、ぼくが生きてきたなかで体内に蓄積してきたすべてを「愛と平和」に向かって突きつける作業のようにも思えました。
街を歩く、風呂に入る、映画を観る、音楽を聴く、友達と喋る、夢を見る、人ごみに紛れる…。
些細な日常生活さえ全部「愛と平和」のフィルターを通して、さらに客観的に自分を見ている、というか。

次に、「愛と平和」を腹に落とし込んで消化してみます。
とても、とっても難しい作業でした。
どうやって飲み込んだかと言うと。
【「愛と平和」】な作品を作ることは避けました。
しかし、「愛と平和」の親友のような、あるいはライバルのような作品を作ってやろうと、腹に決めたのです。
つまり、「愛と平和」と、今から作る作品を並べることによって、その作品自体のパワーがさらに増す、というような。
「愛と平和」と並べることによって、その作品自体のイメージがさらに膨らむ、というような。
そんなものを探し始めました。

それでいよいよ、作品の土台となるテキストを探し始めます。
台本、小説、漫画、詩、などなど。
前述のイメージでいろんなテキストに当たってみました。
そして、出会ったのです。
「鶴の恩返し」に。
その出会いは、まず戯曲「夕鶴」からでした。
シンプルで、普遍性のある、きれいな日本語。
そこに、煮えたぎっているぼくのあたまのイメージがどんどんつながっていきます。
それらはまだ断片でしかないのだけれど、間違いなく「ここに何かある。」と確信しました。

そこからどんどんと資料などを集め、読んだり観たり聴たり。
稽古場で、役者と一緒に実験を繰り返してみたり。
「鶴の恩返し」を立体化する方法を模索します。
すると、その作業のなかから「愛と平和」に対抗できる武器が、たくさん見つかるのです。

それは、これまでの連載で書いてきた諸々のこと。
これ以上は、説明しませんね。

でも、ひとつ。
ぼくたちの作る、その友人でありライバルのような、ぼくたちの「つる」は、ここにきて、いよいよ。
「愛と平和」へ向かってのメッセージを放ち始めました。
そして気づいたのです。
「愛と平和」の引力の、本当を。
「つる」は、そこに引き寄せられます。
しかし、それを拒み、耐える「つる」がいたり。
あるいは、そこに従順に引き寄せられ、肩を寄せる「つる」がいたり。

みなさんと一緒に、その瞬間を劇場で、もっとたくさん見つけたいと願っています。
そのときまで、もうすぐ。
もうすぐです。
「つる」は、劇場でみなさんを、待っています。
どうぞ、ご期待ください。

さあ、次回の連載は、本番初日!
どちらも、お楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 09:44

2006年04月14日

第8回 のこされ劇場≡がつくる『つる』

さて、第8回の連載のテーマは「のこされ劇場≡がつくる『つる』」。
この作品が作られていった過程や、見どころなどを紹介しようと思います。

今回の公演のための稽古は、今年1月、正月が明けてからスタートしました。
その時にはまだ「鶴の恩返し」には出会っておらず、台本となるテキストを探している最中でした。
しかし、ぼくにはひとつ挑戦したいことが以前からあり、まずはそこから始めようと思っていました。
そのステップのために、まず、能「葵上」が現代語訳された台本の一部を使い、地謡をパフォーマンス化する稽古を開始しました。
およそ、一ヶ月間。
セリフを「謡う」グループと、セリフで「舞う」グループに分かれて稽古は進みます。
そして、それをお互いに合わせる稽古を経て、ひとつのパフォーマンスに仕上げました。
出来上がったその12分間のパフォーマンスを見た時、同時にぼくはこれからの作品づくりの光明を見たような気がしました。

そうこうしているうちに、ぼくは「夕鶴」(作・木下順二)に出会い、それを経て「鶴の恩返し」に出会います。
そして、様々な下調べ・検証を経て、物語のなかからそとへ大きくイメージを膨らまし、この作品を「愛と平和」にぶつけてみようと決めます。

「鶴の恩返し」は、時代を超え人々から愛され、口伝されてきた民話です。
その物語を提示する、つまり「語る」ときに、上記の方法を利用しようと思いました。
こうして、のこされ劇場≡がつくる「つる」には、構成上ふたつのパートが生まれました。
ひとつは、ドラマによって物語を進行させる、通称「ドラマパート」。
もうひとつは、語りと舞いによって物語を進行させる、通称「語り舞いパート」。
「つる」は、このふたつのパートが混在し、関与し合い、進んで行きます。

稽古場では、ふたつのパートが別々に稽古するところから始まるのです。
「語り舞いパート」においては、さらにそのなかで「語り」チームと「舞い」チームに細分化されます。
今回「語り」リーダーとして、沖田みやこ。
そして「舞い」リーダーとして、今村貴子。
両役者に、それぞれのパートの構成の指揮を取ってもらいました。
ぼくから、ベースとなるセリフと同時に「こんな感じで。」とイメージを渡し、そこからチームでの創作開始。
メンバーひとりひとりがイメージを出し合い、ディスカッションしながら試行錯誤していきます。
最初から最後まで、すべて自分達で作ってもらいました。
ぼくは、その間はその稽古場を離れ、「ドラマパート」に登場する役者と稽古をしていたりします。
「ドラマパート」の役者には、ぼくが構成した「台本のようなもの」が渡され、それをもとに稽古するのですが、別パートとの兼ね合いや、稽古中の新しい発見もあり、一度稽古場で検証したのち、台本が変化しつつ決定していきます。

このように生まれてくる「つる 〜あの日飛び去った夕鶴によせて〜」。
気になるその見どころは?
と言っても、この連載「鶴を折る日々」を読んでくださっているみなさんは、気になることがたくさんあるかと思います。
敢えて列挙せずに、ぼくからは一点。

みなさんは、きっと「鶴の恩返し」のストーリーをご存知のはずです。
なので、ストーリーを追うために演劇を観るのではなく、目の前で起きていることから、みなさんにもたくさんのイメージを喚起していただきたいと思っています。
この作品は「鶴の恩返し」などの物語から、心に焼きつく鮮やかなイメージの抽出、あわせて、ストーリーとセリフのコラージュから、ひとつの物語を成立させています。
そこに、みなさんのイメージを重ねていただければ、もっと作品を楽しめると思います。

今年与えられた創作テーマ「愛と平和」。
ひとりでは立ち向かえないかもしんない、でっかいものに。
劇場で、みんなで、立ち向かってみたい。
そこに、だれも想像しなかった「愛と平和」が立ち現れるかもしんない。

さあ、NGTは、開幕しました。
盛大に開いた、その幕を、オオトリを任されたぼくらは、素敵に閉じられるのだろうか。
あと、2週間、全力で闘ってみます。

次回、第9回連載。
「つる」と「愛と平和」の関係。

お楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 10:51

2006年04月07日

第7回 物語の向こうにあるもの

桜が舞っています。
人も、うれしそうに、食べたり、飲んだり、笑ったり。ぼくもそれにつられて、うれしくなっちゃったり。
平和なんだなあ。

んで、今回の「つる」のことをぼんやり考えてみる。

平和のときに、ぼくらは、それを平和と気付かずに。
その間は、なにかを忘れてしまっている、次々に。
でも、忘れてしまっただけで、なにかは影で生きていて、増大していて。
そのなにかが、ぼくらに訪れた時に、ぼくらは、平和ではなくなったと思い。
そして、平和を欲しがる。
再び平和を手に入れたと思ったと瞬間、それは誰かによって忘れられていく、再び。

とかなんとか。

さて、連載も後半突入。
第7回「物語の向こうにあるもの」。

今まで、ここで扱ってきたいろんな「鶴」の物語。それらの向こうにあるもの。
それが欲しくて、見たくって、ぼくは作品を作っているのです。

それは、何?

それは、新たな物語。
この作品の物語の向こうに、新たにもうひとつの物語が生もうと思うのです。

ぼくは、以前から演出をしていくなかで「二重舞台」という自分勝手なネーミングの演出方法を使っています。
簡単に説明すると。

戯曲にある世界とは別の世界観を必然的に持ち込んで、異化効果を狙い、その戯曲を多元的に立体化する方法。
それにより、物語の解釈を意図的に多岐化させ、観劇される方によって様々なイメージを持ち帰ってもらおうという試み。
今までの例をあげると、進路に悩む大学生のやりとり、そして彼らの出会いや別れの物語(藤本瑞樹作「たとえばのはなし」)に、人間の体内の循環と細胞の結合と分裂の図式を重ねたり。センター試験を控えた予備校生の希薄で曖昧な人間関係から生まれる、出会いと別れの物語(NGT2005義経友紀作「Re:曖昧のかたまり」)の底に、敵の見えない陰湿な戦争のイメージを重ねたり。

さて、今回は「鶴の恩返し」に何を重ねてみたかというと。
最初の方の連載でも、少し触れたような気がするのですが、それは、もうちょっと先にお話しましょう。作品を観ていただいて、みなさんにどのような感想をいただけるのか、我々も楽しみにしています。

つまり、言い換えれば、物語の向こうにあるものとは、当日会場にお越し頂いたみなさんと作るものかもしれません。
みなさんの思い、そして、この作品づくりに関わっているみんなの思いも乗っけて。
あの日飛び去った夕鶴にのせて。
それを「愛と平和」に対して、祈りを捧げるような気持ちで、この作品を劇場に乗せてみたいです。
そこには、たくさんの思いが集まればいいな、と思います。
ぼくは、というか、作品は、当日、みなさんに会えるのを、本当に楽しみにしています。

といったところで、次回「のこされ劇場≡がつくる『つる』」と題して、この作品が作られていった過程や見どころなんかをご紹介しようと思います。

お楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 19:16

2006年04月04日

第6回 『鶴の恩返し』から『夕鶴』へ

さて、いよいよNext Generation’s Theater 2006の開幕が近付いてきました。いろんなメディアにも注目を頂いており、各種メディアにも「のこされ劇場≡」が登場しています。

先日は、FMKITAQのスタジオで沖田みやこ&森光佐が大暴れしてきました。放送を聴いていて、つじつまの合わないトークにヒヤヒヤ。

そして、来る4月10日(月)にはFM福岡「ごじぱん」に、ぼくが出演。朝5時からの番組で、出演は5時半くらい。チケットプレゼントもあります!
早起きの方、ぜひ。

さらに、12日(水)にはテレビ、NHK「情報ワイド『福岡いちばん星』」に俳優陣が出演。夕方4時過ぎからの番組で、出演は5時台。
ここでは、舞台衣装が初お目見えなんです。
ここでもチケットプレゼントありますよ!
みなさん、周波数&チャンネル合わせて、レッツ応募。

さて、第6回の連載「『鶴の恩返し』から『夕鶴』へ」。
前回、「鶴の恩返し」をとりあげて色々と書いてみたわけですが、今回は「夕鶴」について。

戯曲「夕鶴」の原型は「鶴の恩返し」として現在も親しまれる佐渡島の民話「鶴女房」(1943)であり、これが1949年発表の「夕鶴」のもととなっています。
取材に来られた新聞記者の方は、「鶴の恩返し」と「夕鶴」とではいったい何が違うのか、といった質問を必ずされます。
簡単に言えば「口伝の民話」と「戯曲」との違いは明確だし、厳密に言えばその違いは多くありキリがないのですが、ここは「つる〜」を立体化するにあたり、意識またはヒントにした観点から、ぼくなりに。

「鶴の恩返し」には【教訓】のような性格が見えかくれします。

助けた鶴から恩返しを受ける。
  →良い行いをすれば、良いことが起こる。

見るなと言われた姿を覗き、別れが訪れる。
  →約束を破ってはならない。

これは、もともと民話が持っている構造のひとつですが、子供に語り聴かせるものであるが故の、自然な構造のように思われます。
しかし「夕鶴」においては、以上のような【教訓】は描かれていません。
だからと言って、以上の2点を物語から排除するということでもありません。
2点を別々に説明してみます。

助けた鶴から恩返しを受ける。

「夕鶴」において、あの有名な鶴を助けるシーンは演じられません。
物語の最初のシーン、女は、すでに男の家で一緒に暮らしています。
その暮らしは、お互いがお互いを想い、幸せで愛に満ちているように思えます。
男への恩返し、つまり千羽織りの布を男に与えるのは「鶴(私)を助けたから」ではなく「愛する人と幸せに暮らしたいから」という捉え方ができるようになっているのです。

見るなと言われた姿を覗き、別れが訪れる。

「鶴の恩返し」では、主人公の男が機織り部屋を覗いてしまったとなっているのですが、意外なことに「夕鶴」では、機織り部屋の鶴の姿を見つけるのは主人公の男ではありません。(のちに主人公も覗きますが。)
最初に覗いたのは、「運ず」という他の登場人物。
物語の中に登場する「運ず」と「惣ど」は、向こう村の男たちで、千羽織りの布と、それに金を払う者との間に入って、金儲けを狙うのです。この2人の口車に乗るような形で、男は「もう織ることはできない」と言われた布を、女に再び織るように頼みます。
自分の羽を犠牲にして、女が与える愛。
それをお金に換えることで女を幸せにしようとした男。
「夕鶴」では、機織り部屋を覗いてしまったことが直接の別れの原因のように思えません。
お互いの愛情ゆえでありながら、このように決定的にお互いの話が食い違ってしまったことで、別れが訪れるといった構図を見せているのです。

以上、ぼくが作品を作る上で意識した「鶴の恩返し」と「夕鶴」の違い。
そこからも「鶴の恩返し」から「夕鶴」への進化や、ふたつの物語の挟間にある大きな振り幅を見ることができます。
さらに、そのなかに、現在もなお、ぼくらを動かす大きなテーマを見つけられるかも知れません。

ということでお送りしました第6回「『鶴の恩返し』から『夕鶴』へ」。
次からは、今まで見てきた物語の向こうにあるもの、我々が作る「つる〜」の話に切り込んでみたいと思います。

次回、第7回「物語の向こうにあるもの」。
お楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 12:36

2006年03月31日

お詫び

猛稽古中につき、後日更新いたします。

Posted by 市原幹也 at 13:23

2006年03月24日

第5回 『鶴の恩返し』の謎

今回の作品、のこされ劇場≡の「つる 〜あの日飛び去った夕鶴によせて〜」(以下、「つる〜」)は『鶴の恩返し』をベースに作られていると前述しましたが、厳密に言えば『鶴女房』『夕鶴』『鶴の恩返し』という3つの軸を中心にストーリーを構成しています。
まずは、混乱を避けるために3つの関係を、簡単に整理します。

助けた鶴がその恩を返すためにやってくるという、新潟県佐渡島に伝わる民話『鶴女房』を戯曲作家の木下順二氏が採話し、1949年に発表したものが『夕鶴』。
『夕鶴』は青年"よひょう"と鶴の"つう"の愛情と人間本来の欲を描いた作品です。
絵本やアニメで私たちが知る『鶴の恩返し』は、その『夕鶴』という物語が基となっていると言われています。
『鶴の恩返し』は『夕鶴』の主人公・よひょうをおじいさんおばあさんに、愛情の物語を恩返しの物語にと子どもにも分かりやすく変換したもののようです。
(『鶴の恩返し』『夕鶴』の原型とも言える『鶴女房』を読みたい方はこちら=日本語研究者 石崎晶子さんサイト「ことばの畑」より

さて、今回のテーマは「『鶴の恩返し』の謎」。
みなさんが昔から親しんでいるこの物語。
民話だから何が起きても不思議ではないのですが、アタマをひねくってみると不思議な点がいくつかあります。
大きく、ふたつ。

 1. なぜ、鶴と人間が結婚?
 2. なぜ、男は約束を破って機織り部屋を覗いちゃったの?

これらの謎を解くべく、いろいろと調べてみたのですが、これらに「これだ!」という答えは見つかりません。
しかし、物語を分析するのに、以下のようなものにぶちあたりました。
今回の作品と照らし合わせながら紹介してみます。

まず、鶴と人間が結婚するという謎。
このように動物と人とが結婚するという話は、たくさんあります。
ギリシア神話やローマ神話にもその例は見られ、日本でも『鶴女房』をはじめ『狐女房』や『蛤女房』などがあります。
このように人間以外のもの、すなわち動物や妖怪や精霊と人間との婚姻を主題とする説話の総称として「異類婚姻譚」といい、様々な研究と分析が行われています。
くわしく知りたい方、興味のある方は関敬吾氏や三浦佑之氏の著書がおすすめ。

今回の作品「つる〜」では、人間が異界と出会う入り口として、異類婚姻を用いているものと考えています。
「つる〜」では、不思議の国のアリスのように、男が『鶴の恩返し』の物語のなかに迷い込んでしまうという設定を用いています。
今まで出会ったことの無い世界、手に入れたことの無い幸せを手にした男のたどる運命を通して、我々現代人が手に入れた文明とその急激な発達、そして平和というものについてイメージを広げていきたいと思っています。

次に、男が機織り部屋を覗いてしまうという謎。
これに似た説話に「浦島太郎」(Dictionary of Pandaemoniumより)「見るなの座敷」(同)というのがあります。
開けるなと言われた玉手箱をあけてしまったり、見るなと言われた倉を覗いてしまったり。
簡単にまとめると、楽園を手に入れた人間が、タブーを犯すことでその楽園からはじき出されてしまうといった物語。

今回の作品「つる〜」でも、男は『鶴の恩返し』の物語の中で主人公「よひょう」に仕立て上げられていく結末に、このタブーを犯してしまい、物語の世界からはじき出されてしまいます。

さあ、我々が手に入れた現代文明と平和のなかにあるタブーって一体なんなのでしょう。
我々は、すでにそれを犯してしまった?あるいは犯している最中?もしくは繰り返している?
この作品の最後に、数ある答えのうちのひとつがみつかるかもしれません。

さて、『鶴の恩返し』に隠されている謎の答えは得られなくとも、今回の作品の「核」ともなるテーマが見えてきました。
創作テーマに「愛と平和」が掲げられたNext Generation’s Theater 2006に、のこされ劇場≡が、なぜ『鶴の恩返し』をぶつけて来たのか、少しわかってもらえたかもしれません。

ということで次回のテーマは「物語の向こうにあるもの」。
最初に挙げた『鶴女房』をはじめとする3つの物語と、のこされ劇場≡が創る「つる〜」の物語。
それらの狭間にある、またその向こうにある、なにか。
巨大で頑丈なモンスターのようなテーマ「愛と平和」に立ち向かえる武器が見つかるかもしれません。

お楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 23:04

2006年03月17日

第4回 日本人と鶴

さて、連載第4回のテーマは「日本人と鶴」です。

元来、鶴は季節を定めて去来するところからも、人々に神秘感を与えていました。
その優美さから霊鳥と崇められおり、稲田に降り立って穀物を食べたり、小枝や羽を上空に投げてくわえ捕ったり。
そんな習性から、鶴が稲穂を運んできて稲作が始まったとする伝説が日本各地に残されています。
沖縄にも!?
ちなみに、名前に「鶴」を含んだ日本酒が多いことも、こんなところで納得ですね。
その他にも、調べたところ。
民話や言い伝えに登場する女の名前には「鶴」の文字が入っていることが多かったり。

ぼくらは、鶴を、身近ながらも神秘的にとらえているところが少なからずあります。

さあ、話を「鶴の恩返し」に展開しますが。

女に姿を変えた女は、機(はた)を織ります。
実は、この「機織り」という行為も、伝説や言い伝えが多いのです。
インターネットで検索するだけでもたくさんソースはでてくるのですが、もっと身近に。
そう、みなさんも知っている七夕伝説の「おりひめ」の名を頭に思い浮かべてもらえれば、どうでしょう。
これは中国からの伝説ですが、今でも日本人に愛されている伝説であり、七夕祭りなど日常にとけ込んでいる風習ですね。
天を支配しているとされる、天帝の娘だった 織女(おりひめ)は、子どもの頃から外には出ずに機織りばかりしている仕事熱心な娘。
彼女もまた、機を織りつづける女でありながら、それをやめたとき、愛する男を失ってしまいます。

機を織る、という行為も我々に神秘的な印象を与えるもの。

「鶴の恩返し」では、鶴が、機を織る、というこの2つの神秘的なるものの組み合わせ。
その鶴とかわした約束を破ってしまった主人公の男の罪深さというか、愚かさは、対照的にも引き立ちます。
それらが、現代の我々の心にも深く息づいている、というのは興味深いところ。
ぼくは、そのような点からも「鶴の恩返し」からは、素朴でありながら、なにかとてつもないメッセージを感じるのです。

さて、ということで次回のテーマは「『鶴の恩返し』の謎」と題しまして、そこらへんも探っていけたらな、と思います。

お楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 16:56

2006年03月10日

第3回 現代のなかにある『鶴』

今回も本題の前に少し、作品のことをお話ししますね。

のこされ劇場≡「つる 〜あの日飛び去った夕鶴によせて〜」には「脚本」というクレジットは存在しません。
「構成/演出」として、ぼくの名前がクレジットされています。
つまり、稽古場には脚本が存在しません。
それでは、どうやって稽古しているのか。
稽古場にあるのは「脚本のようなもの」、プロット(脚本の設計図)に近いものが投げかけられます。
それに基づいて役者に動いてもらったり、広げてもらったり。
即興、というより、エチュード、に近い形式で立ち上がっていきます。
そして、今回はそれに合わせて「楽譜のようなもの」を作るチームが編成されています。
それは、能でいうところの地謡であったり、テレビでいうところの森本レオや下条アトムの集団といったところでしょうか。
本番を観て楽しむのはもちろんですが、稽古場を観ても楽しめるのではないでしょうか。
演出のぼくもエキサイティングです。
稽古場を見学されたい方、いらっしゃいましたら、ぜひメールなどで教えて下さい。
ご案内しますね。

さて、今回も前置きが長くなりましたが本題です。
3回目のテーマは「現代のなかにある『鶴』」。

前回は、鶴の種類と生態から作品のヒントになるものを探ったわけですが。
今回も面白いネタが見つかるでしょうか。

といったところで、現代の生活のなかの「鶴」を、まずはアタマで探ってみるぼくですが。
うーん。
ここは、もう正直に浮かんで来た順番に書きますね。
まず、鶴瓶
大好きです。
「パペポTV」観てました。(上岡龍太郎がタレント辞めたので打ち切り、残念。)
「らくごのご」観てました。(普段見せない、落語家、笑福亭鶴瓶の勇士が。)
次に、鶴ちゃん
ボクサー?俳優?芸術家?
でも、ぼくにはやっぱり。
アッツイおでんをほおばり「アチッ!アチッ!」って言ってる鶴ちゃん。
水上ボートでマッチ(近藤真彦)の物まねをしながら海の藻屑となった鶴ちゃん。

とか。ジャンボ鶴田。鶴田浩二。鶴ひろみ。
ああ、だめだ、ぼくのアタマはどうかしています。
このまま書いていると、この連載の方向性を見失いそうなのでここでやめときますね。

ということで、元々、鶴という生き物に直接接することもないぼくは、普段の生活のなかで鶴に対してなんの思い入れもないし、連想されるものなんて、以上のようなもの。

しかし。
忘れてはならない「鶴」のイメージがあるはず。
それがなぜかはまだ明らかではないのだけれど、ほぼすべての日本人が共通して持っていると思われる「鶴」のイメージ。

それは、折り鶴

この連載自体のタイトルにもなっていますね。
折り鶴、それは願いを託すもの。
祈りを捧げるもの。
今回は、この折り鶴が作品のひとつのモチーフになっています。

折り鶴。

NGT参加3団体の共通テーマ「愛と平和 Love&Peace」に切り込むために、のこされ劇場≡が選んだモチーフです。
折り鶴は「愛と平和」にとっての盟友でもあり、ライバルでもあると、ぼくは思っています。

ところで。
もうすでに手に入れられた方もいらっしゃると思いますが、今回のチラシ。
「つる〜」のチラシは、正方形になっており、折り鶴の展開図を基調にしたデザインになっています。
つまり、チラシで折り鶴が折れる、ということです。
そして、チラシに隠されているヒントの通りに鶴を折ると、なんと…!

とか、みなさん、折ってみてくださいね。
そのときだけでもいいから「愛と平和」について、少し考えてみては?
という思いで、各種ショップや公共機関など、いろんな所に折り鶴の完成形と一緒にチラシを置かせてもらっているのですが。
こんな嬉しい現象も起きています。

tsuru.jpg

置きチラシのまわりに、みなさんが折ってくれた折り鶴が集まっているのです。
しかも、今回は名前入り。
この折り鶴を折ってくれた男の子の姿が目に浮かびますね。
ありがとう、南くん!!

さて、またまた話が少し脱線してしまいましたが、「鶴の恩返し」と「折り鶴」が舞台でどう出会うのか。
のこされ劇場≡が、折り鶴に託す願い、そして祈りとは…。
このブログを読んでくれている人にだけわかるお楽しみも、あるかもしれません。

ということで、お送りしました3回目の連載。
次は「日本人と鶴」と題して、その関係を歴史のなかからも掘り下げていこうかと思っています。
現代にある鶴のイメージは、きっと我々との関係の歴史のなかで生まれてきたのではないか、という。

それでは、次回もお楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 16:14

2006年03月03日

第2回 鶴の種類と生態

さて、突然ですが。
連載に入る前に、簡単に「つる〜あの日飛び去った夕鶴によせて〜」はこんなお話にしようと思う、という構想を書いてみます。

現代に生きる男。
彼は「何かしら」祈っている。
そんな彼は、不思議な世界に迷い込んでしまう。
それは「鶴の恩返し」の物語の世界。
まるで「不思議の国のアリス」、あるいは浦島太郎でいう「竜宮城」といったところか。

その世界には、鶴の女が男を待っていた。
今は、居ない、この物語の主人公を、待っていた。
男は、その世界「鶴の恩返し」の主人公に仕立て上げられていく。
鶴の女や、その世界の住人たちによって。
男はいつしか、女の織る布や、幸せで愛に溢れる日々に没頭してしまう。
そして、元の世界に帰ることを忘れてしまう。

しかし、それは続かない。
男は、見るな、と言われた禁を犯してしまい、元の世界にはじき出される。
女は男との日々を失い、悲しむ。
またこの人も過ちを犯してしまうのか、と。
女は、再び「鶴の恩返し」の世界で、新たにやって来る別の主人公を待っている。
この女、永遠に飲み込まれた「卒塔婆小町」といったところか。

一方、現代にはじき戻された男は、自分が犯した罪を償おうにも、もうあの世界には戻れない。
そして、また「何かしら」を祈り続けて生きていくしかなかったのだ。

こんなことを考えながら日々、稽古に励んでいます。
みなさん、どうぞお楽しみに。

さて。
連載2回目のテーマは「鶴の種類と生態」です。

みなさんが思っている以上に、鶴の種類は多い。
鳥綱には26目、約7600種の鳥類が属している。ツル目はその26目のうちのひとつで、12科189種からなりたっている。日本に生息、あるいは飛来して来る鶴でいうと「タンチョウ」「ナベヅル」などがある。

それでは、「鶴の恩返し」に登場している鶴は一体どれになるんだろう。
みなさんのアタマのなかにいる鶴を呼び起こしてもらいたい。
どんな鶴?

多くはこうあるはずだと思う。
色は白くて。首んところが黒くて。頭が赤い。
そんな鶴。
つまり「丹頂鶴(タンチョウヅル)」。
それは、掛け軸や花札に松と一緒に登場する鶴であったり、旧千円札の裏のそれであったり。「鶴の恩返し」の絵本やアニメで観ている人もいるかな。

ぼくらのアタマのなかの鶴は潜在的にタンチョウなのだなあ。
それも理由のひとつとなり「つる 〜あの日飛び去った夕鶴によせて」では、タンチョウに的を絞って鶴を描いている。

それでは、タンチョウヅルについて。


タンチョウ(丹頂)は、ツル目ツル科の鳥類。
タンチョウヅルともよばれる。
学名はGrus japonensis。英名Red-crowned Crane。
体長約140cmの日本最大の鳥類である。
日本では北海道東部の釧路湿原などでみられ、
冬季は人里近くに群れをつくって過ごす。
春先には優美な求愛ダンスがしばしば見られ、
つがいが形成される。
3月になるとつがいは湿原に移り、
枯れアシなどを用いて地面に巣をつくる。
各つがいは数平方キロメートルにもわたる領域を
「なわばり」とし、仲間を寄せ付けない。
メスは2つの卵を産卵し、30日強で孵化する。
アイヌではタンチョウを
サルルンカムイ(湿原の神)と呼ぶ。
(以上、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

ここで、面白いことに気づきます。
まず恋人をゲットするための「求愛ダンス」。
「つる〜」に置き換えて考えてみると。
それはもちろん求愛でもあり、祈りの行為にも似ているのかな、と。
主人公を入れ替えては、出会いと別れを永遠に繰り返している「鶴の恩返し」の世界の女王、鶴の女。
禁を犯さずいつまでも幸せに一緒に居てくれる男が現れれば、この苦しい永遠は断ち切れるのかもしれない。
それも一つの、祈り。
そんなことを考えてしまいます。

そして男と女が結ばれると現れる「なわばり」の領域。
「つる〜」のなかでは、鶴の女が主人公の男を待っている世界「鶴の恩返し」そのものが彼女の「なわばり」なのかもしれません。
だれにも邪魔されず、いつまでもこのまま幸せにいたい。
そんな思いが「なわばり」のなかでは、より一層つよく、濃く表出してきますね。

最後に「鶴=神の鳥」。
他の文献にも、日本人は、稀にしか見ることのできない巨大な翼をもった真っ白な鳥を神格化していたことが認められます。
例えば、折り鶴に祈りを込める現代の風習からも感じるように、自分たちの手の届かない領域へ我々の祈りを運んでくれる鳥なのかもしれません。

日本人の意識下にある鶴の存在というのは、むかしも今も、あまり変わってないのでしょうか。
ぼくたちは鶴のことをどう思っているんでしょうか。
次回、そんなことを考えてみましょう。

それでは、また来週。

追伸
先日まで、北九州芸術劇場リーディングシアター「犬神」(作:寺山修司、演出:白井晃)に参加し、白井晃氏の演出助手をさせて頂いておりました。
そこに没頭するあまり、この回の連載が遅れてしまったことをお詫び致します。
それにしても、すばらしい日々、すばらしい経験となりました。「つる〜」にも、その経験をバッチリ注ぎ込みたいですね。

Posted by 市原幹也 at 20:00

2006年02月24日

第1回 ごあいさつ

のこされ劇場≡の主宰、演出家の市原幹也です。
どうも。
どうぞ。
NGT06のこされ劇場≡「つる 〜あの日飛び去った夕鶴によせて〜」を、どうぞよろしくお願いします。

さて。
「つる 〜あの日飛び去った夕鶴によせて〜」はみなさんもご存知の民話「鶴の恩返し」がベースとなっています。
しかし、いったい、なぜ今、どうしてこうして「鶴」なわけ?
と、不思議に思われる方も、たくさんいらっしゃると思います。

そこで。
ぼくらの生活の中にある「鶴」をとりあげ、のこされ劇場≡がつくる「つる」の謎を解き明かしてみたい。
丁寧に、祈りを込めて、折り鶴を折るように。
ってことで始まる連載「鶴を折る日々」。
全11回に渡る連載、どんなことを書いていくのかというと。

【第1章 鶴ってどんな生き物?】
鶴の種類や生態について考えてみますね。
そして、さらに掘り下げて。
我々、日本人にとって鶴ってどんな存在なのかを探ってみましょう。

【第2章「鶴の恩返し」の謎と神秘】
第1章で得た情報を前提に「鶴の恩返し」の物語を読み解きますね。
なぜ鶴?なぜ女の姿?なぜ布を織る?などなど。
こう、ただの、民話じゃない、な。
と、そんなことを考えてしまうのです。

【第3章 のこされ劇場≡版「つる」】
そんなこんなで、いったい何故、のこされ劇場≡は「つる」なのか。
「つる 〜あの日飛び去った夕鶴によせて〜」はどんなお話になっているのか。
この時点で明かせる範囲で、すべての謎の核心に迫る最終章となる予定。
そして、皆さんと一緒に本番の日を迎えるわけです。

予定ですが、ほんと。
ほんと、予定ですが。
こんなラインナップでしょうか。

第1回 2/24 ごあいさつ
第2回 3/3 鶴の種類と生態
第3回 3/10 現代のなかにある「鶴」
第4回 3/17 日本人と鶴
第5回 3/24 「鶴の恩返し」の謎
第6回 3/31 「鶴の恩返し」から「夕鶴」へ
第7回 4/7 物語の向こうにあるもの
第8回 4/14 のこされ劇場≡がつくる「つる」
第9回 4/21 「つる」と「愛と平和」の関係
第10回 4/28(公演初日!) 鶴を折る日
第11回 おわりに

途中で、また違った謎にぶちあたって。
稽古場で、とんでもないことを発見して。
これらの予定が変更することもあるかと思います。
しかし、そうなった時の方こそ、のこされ劇場≡の本領発揮。
まだ見ぬ道を、どきどきしながら、力強く、歩く事ことになるでしょう。
かかってきやがれ、「愛と平和」。

ってことで、乞うご期待!
ブログも、公演も。
どうぞ。
どうぞよろしくお願いします。

それでは来週もお楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 14:23