2006年04月04日

第6回 『鶴の恩返し』から『夕鶴』へ
[3:鶴を折る日々 by 市原幹也]

さて、いよいよNext Generation’s Theater 2006の開幕が近付いてきました。いろんなメディアにも注目を頂いており、各種メディアにも「のこされ劇場≡」が登場しています。

先日は、FMKITAQのスタジオで沖田みやこ&森光佐が大暴れしてきました。放送を聴いていて、つじつまの合わないトークにヒヤヒヤ。

そして、来る4月10日(月)にはFM福岡「ごじぱん」に、ぼくが出演。朝5時からの番組で、出演は5時半くらい。チケットプレゼントもあります!
早起きの方、ぜひ。

さらに、12日(水)にはテレビ、NHK「情報ワイド『福岡いちばん星』」に俳優陣が出演。夕方4時過ぎからの番組で、出演は5時台。
ここでは、舞台衣装が初お目見えなんです。
ここでもチケットプレゼントありますよ!
みなさん、周波数&チャンネル合わせて、レッツ応募。

さて、第6回の連載「『鶴の恩返し』から『夕鶴』へ」。
前回、「鶴の恩返し」をとりあげて色々と書いてみたわけですが、今回は「夕鶴」について。

戯曲「夕鶴」の原型は「鶴の恩返し」として現在も親しまれる佐渡島の民話「鶴女房」(1943)であり、これが1949年発表の「夕鶴」のもととなっています。
取材に来られた新聞記者の方は、「鶴の恩返し」と「夕鶴」とではいったい何が違うのか、といった質問を必ずされます。
簡単に言えば「口伝の民話」と「戯曲」との違いは明確だし、厳密に言えばその違いは多くありキリがないのですが、ここは「つる〜」を立体化するにあたり、意識またはヒントにした観点から、ぼくなりに。

「鶴の恩返し」には【教訓】のような性格が見えかくれします。

助けた鶴から恩返しを受ける。
  →良い行いをすれば、良いことが起こる。

見るなと言われた姿を覗き、別れが訪れる。
  →約束を破ってはならない。

これは、もともと民話が持っている構造のひとつですが、子供に語り聴かせるものであるが故の、自然な構造のように思われます。
しかし「夕鶴」においては、以上のような【教訓】は描かれていません。
だからと言って、以上の2点を物語から排除するということでもありません。
2点を別々に説明してみます。

助けた鶴から恩返しを受ける。

「夕鶴」において、あの有名な鶴を助けるシーンは演じられません。
物語の最初のシーン、女は、すでに男の家で一緒に暮らしています。
その暮らしは、お互いがお互いを想い、幸せで愛に満ちているように思えます。
男への恩返し、つまり千羽織りの布を男に与えるのは「鶴(私)を助けたから」ではなく「愛する人と幸せに暮らしたいから」という捉え方ができるようになっているのです。

見るなと言われた姿を覗き、別れが訪れる。

「鶴の恩返し」では、主人公の男が機織り部屋を覗いてしまったとなっているのですが、意外なことに「夕鶴」では、機織り部屋の鶴の姿を見つけるのは主人公の男ではありません。(のちに主人公も覗きますが。)
最初に覗いたのは、「運ず」という他の登場人物。
物語の中に登場する「運ず」と「惣ど」は、向こう村の男たちで、千羽織りの布と、それに金を払う者との間に入って、金儲けを狙うのです。この2人の口車に乗るような形で、男は「もう織ることはできない」と言われた布を、女に再び織るように頼みます。
自分の羽を犠牲にして、女が与える愛。
それをお金に換えることで女を幸せにしようとした男。
「夕鶴」では、機織り部屋を覗いてしまったことが直接の別れの原因のように思えません。
お互いの愛情ゆえでありながら、このように決定的にお互いの話が食い違ってしまったことで、別れが訪れるといった構図を見せているのです。

以上、ぼくが作品を作る上で意識した「鶴の恩返し」と「夕鶴」の違い。
そこからも「鶴の恩返し」から「夕鶴」への進化や、ふたつの物語の挟間にある大きな振り幅を見ることができます。
さらに、そのなかに、現在もなお、ぼくらを動かす大きなテーマを見つけられるかも知れません。

ということでお送りしました第6回「『鶴の恩返し』から『夕鶴』へ」。
次からは、今まで見てきた物語の向こうにあるもの、我々が作る「つる〜」の話に切り込んでみたいと思います。

次回、第7回「物語の向こうにあるもの」。
お楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 2006年04月04日 12:36