2006年03月10日

第3回 現代のなかにある『鶴』
[3:鶴を折る日々 by 市原幹也]

今回も本題の前に少し、作品のことをお話ししますね。

のこされ劇場≡「つる 〜あの日飛び去った夕鶴によせて〜」には「脚本」というクレジットは存在しません。
「構成/演出」として、ぼくの名前がクレジットされています。
つまり、稽古場には脚本が存在しません。
それでは、どうやって稽古しているのか。
稽古場にあるのは「脚本のようなもの」、プロット(脚本の設計図)に近いものが投げかけられます。
それに基づいて役者に動いてもらったり、広げてもらったり。
即興、というより、エチュード、に近い形式で立ち上がっていきます。
そして、今回はそれに合わせて「楽譜のようなもの」を作るチームが編成されています。
それは、能でいうところの地謡であったり、テレビでいうところの森本レオや下条アトムの集団といったところでしょうか。
本番を観て楽しむのはもちろんですが、稽古場を観ても楽しめるのではないでしょうか。
演出のぼくもエキサイティングです。
稽古場を見学されたい方、いらっしゃいましたら、ぜひメールなどで教えて下さい。
ご案内しますね。

さて、今回も前置きが長くなりましたが本題です。
3回目のテーマは「現代のなかにある『鶴』」。

前回は、鶴の種類と生態から作品のヒントになるものを探ったわけですが。
今回も面白いネタが見つかるでしょうか。

といったところで、現代の生活のなかの「鶴」を、まずはアタマで探ってみるぼくですが。
うーん。
ここは、もう正直に浮かんで来た順番に書きますね。
まず、鶴瓶
大好きです。
「パペポTV」観てました。(上岡龍太郎がタレント辞めたので打ち切り、残念。)
「らくごのご」観てました。(普段見せない、落語家、笑福亭鶴瓶の勇士が。)
次に、鶴ちゃん
ボクサー?俳優?芸術家?
でも、ぼくにはやっぱり。
アッツイおでんをほおばり「アチッ!アチッ!」って言ってる鶴ちゃん。
水上ボートでマッチ(近藤真彦)の物まねをしながら海の藻屑となった鶴ちゃん。

とか。ジャンボ鶴田。鶴田浩二。鶴ひろみ。
ああ、だめだ、ぼくのアタマはどうかしています。
このまま書いていると、この連載の方向性を見失いそうなのでここでやめときますね。

ということで、元々、鶴という生き物に直接接することもないぼくは、普段の生活のなかで鶴に対してなんの思い入れもないし、連想されるものなんて、以上のようなもの。

しかし。
忘れてはならない「鶴」のイメージがあるはず。
それがなぜかはまだ明らかではないのだけれど、ほぼすべての日本人が共通して持っていると思われる「鶴」のイメージ。

それは、折り鶴

この連載自体のタイトルにもなっていますね。
折り鶴、それは願いを託すもの。
祈りを捧げるもの。
今回は、この折り鶴が作品のひとつのモチーフになっています。

折り鶴。

NGT参加3団体の共通テーマ「愛と平和 Love&Peace」に切り込むために、のこされ劇場≡が選んだモチーフです。
折り鶴は「愛と平和」にとっての盟友でもあり、ライバルでもあると、ぼくは思っています。

ところで。
もうすでに手に入れられた方もいらっしゃると思いますが、今回のチラシ。
「つる〜」のチラシは、正方形になっており、折り鶴の展開図を基調にしたデザインになっています。
つまり、チラシで折り鶴が折れる、ということです。
そして、チラシに隠されているヒントの通りに鶴を折ると、なんと…!

とか、みなさん、折ってみてくださいね。
そのときだけでもいいから「愛と平和」について、少し考えてみては?
という思いで、各種ショップや公共機関など、いろんな所に折り鶴の完成形と一緒にチラシを置かせてもらっているのですが。
こんな嬉しい現象も起きています。

tsuru.jpg

置きチラシのまわりに、みなさんが折ってくれた折り鶴が集まっているのです。
しかも、今回は名前入り。
この折り鶴を折ってくれた男の子の姿が目に浮かびますね。
ありがとう、南くん!!

さて、またまた話が少し脱線してしまいましたが、「鶴の恩返し」と「折り鶴」が舞台でどう出会うのか。
のこされ劇場≡が、折り鶴に託す願い、そして祈りとは…。
このブログを読んでくれている人にだけわかるお楽しみも、あるかもしれません。

ということで、お送りしました3回目の連載。
次は「日本人と鶴」と題して、その関係を歴史のなかからも掘り下げていこうかと思っています。
現代にある鶴のイメージは、きっと我々との関係の歴史のなかで生まれてきたのではないか、という。

それでは、次回もお楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 2006年03月10日 16:14