2006年04月07日

第7回 物語の向こうにあるもの
[3:鶴を折る日々 by 市原幹也]

桜が舞っています。
人も、うれしそうに、食べたり、飲んだり、笑ったり。ぼくもそれにつられて、うれしくなっちゃったり。
平和なんだなあ。

んで、今回の「つる」のことをぼんやり考えてみる。

平和のときに、ぼくらは、それを平和と気付かずに。
その間は、なにかを忘れてしまっている、次々に。
でも、忘れてしまっただけで、なにかは影で生きていて、増大していて。
そのなにかが、ぼくらに訪れた時に、ぼくらは、平和ではなくなったと思い。
そして、平和を欲しがる。
再び平和を手に入れたと思ったと瞬間、それは誰かによって忘れられていく、再び。

とかなんとか。

さて、連載も後半突入。
第7回「物語の向こうにあるもの」。

今まで、ここで扱ってきたいろんな「鶴」の物語。それらの向こうにあるもの。
それが欲しくて、見たくって、ぼくは作品を作っているのです。

それは、何?

それは、新たな物語。
この作品の物語の向こうに、新たにもうひとつの物語が生もうと思うのです。

ぼくは、以前から演出をしていくなかで「二重舞台」という自分勝手なネーミングの演出方法を使っています。
簡単に説明すると。

戯曲にある世界とは別の世界観を必然的に持ち込んで、異化効果を狙い、その戯曲を多元的に立体化する方法。
それにより、物語の解釈を意図的に多岐化させ、観劇される方によって様々なイメージを持ち帰ってもらおうという試み。
今までの例をあげると、進路に悩む大学生のやりとり、そして彼らの出会いや別れの物語(藤本瑞樹作「たとえばのはなし」)に、人間の体内の循環と細胞の結合と分裂の図式を重ねたり。センター試験を控えた予備校生の希薄で曖昧な人間関係から生まれる、出会いと別れの物語(NGT2005義経友紀作「Re:曖昧のかたまり」)の底に、敵の見えない陰湿な戦争のイメージを重ねたり。

さて、今回は「鶴の恩返し」に何を重ねてみたかというと。
最初の方の連載でも、少し触れたような気がするのですが、それは、もうちょっと先にお話しましょう。作品を観ていただいて、みなさんにどのような感想をいただけるのか、我々も楽しみにしています。

つまり、言い換えれば、物語の向こうにあるものとは、当日会場にお越し頂いたみなさんと作るものかもしれません。
みなさんの思い、そして、この作品づくりに関わっているみんなの思いも乗っけて。
あの日飛び去った夕鶴にのせて。
それを「愛と平和」に対して、祈りを捧げるような気持ちで、この作品を劇場に乗せてみたいです。
そこには、たくさんの思いが集まればいいな、と思います。
ぼくは、というか、作品は、当日、みなさんに会えるのを、本当に楽しみにしています。

といったところで、次回「のこされ劇場≡がつくる『つる』」と題して、この作品が作られていった過程や見どころなんかをご紹介しようと思います。

お楽しみに≡!

Posted by 市原幹也 at 2006年04月07日 19:16