from 【AGAPE store】 松尾貴史氏
落語というものは、世界にも類を見ないほど洗練された芸能だと思います。観客の頭の中にとてつもなく壮大かつ精緻な想像力を要求する、民度が高くなければ楽しめない娯楽では無いでしょうか。しかし、それを立体的に見せる。それも、ギャグの要素が多い上方落語を数十本、縦横無尽に編むというのですから大変です。作家も演出家もスタッフも大変でしょうが、役者もえらいことです。演劇界でも選りすぐりの魅力ある俳優がうち揃いました。落語界からは米朝一門の若手随一の技量を誇る桂吉弥君、情報豊かな吉坊にしっかりとした裏打ちの役割も果たして頂けることでしょう。そして何と歌舞伎界からはかの天才・市川笑也さんにお出まし頂き、魅惑的な笑いの世界を構築して頂けそうです。大変です。松尾貴史◎まつおたかし 大阪芸術大学を卒業後、84年「キッチュ」の名でデビュー。のち「松尾貴史」に改名。 TV・ラジオはもとより、映画、舞台、エッセイなど幅広い分野で活躍。G2氏とのパフォーマンスユニット「AGAPE store」でも演劇の枠にとらわれない自由な発想で作品を創り続けている。また、落語への造詣も深く、東西の落語家との親交も厚い。
from 【脚本家】 東野ひろあき氏
とにもかくにも「上方落語を数十本盛り込んで一編につなげてしまう」という恐れを知らぬ今回の試み。もうその時点で"奇想天外""前代未聞""驚天動地"の楽しさ満開の物語であることはご想像の通りです。
上方落語をよくご存じの方なら「おっとそう来たか!これはあのネタだな!」とマニア心を存分にくすぐられること請け合い。逆にほとんど知らないという方でも心配ご無用。なぜなら、上方落語に登場する人物たちは、愛すべき"ヘンな人たち"だらけ。どのネタも"わかりやすい"理屈抜きのもの。それがお芝居として立体化されるわけですから、ややこしいはずがありません。おまけにキャストにこの顔ぶれです。この御時世、落語ワールドを大いに満喫して、ひと時でもイヤなことを忘れてもらえたら、こんなにうれしいことはありません。
【脚本】東野ひろあき◎ひがしのひろあき 放送作家としてテレビ・ラジオの番組企画や構成をする傍ら、舞台脚本や、漫才・コントなどの演芸台本も精力的にこなす。先頃、構成ブレーンとして参加した映画『UDON』の小説版・UDON・を上梓したり、弾き語りによるフォークCD発売など、活動は多岐にわたる。無類の猫好き。
上方落語 どんなはなし?
本作の監修でもある桂米朝師匠は上方落語の復興に務め、人間国宝にも認定。劇中に取り入れられた落語は、米朝師匠をはじめ一門が得意とするものばかりだ。主要キャラクターの登場する噺を、ダイジェスト版で紹介しよう。
<その1>
【地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)】 閻魔大王、若旦那 ほか
タイトルにもなっているのがこの噺。サバに当たってポックリ逝った男と大店のご隠居、この世に飽きてフグに当たって死のうと芸妓や太鼓持ちらと"あの世ツアー"を組んだ若旦那など、新米死人たちが閻魔大王のお裁きを受けるまで、地獄のあちこちを観光宜しく見聞して歩く、というのが大体のストーリーだ。仲見世のように各宗教の念仏を売る出店や、死人が大活躍する劇場・寄席街など見せ場も色々。ここに時事ネタなどを豊富に絡めるのが、落語家の工夫とセンスの見せどころであり、聞き返したとき、いつ噺されたかが分かる指針にもなるとか。この落語を元に描かれた「じごくのそうべえ」(田島征彦・作)という絵本もある。
<その2>
【たちぎれ線香】 若旦那、芸妓・小糸、番頭、茶屋の女将 ほか
この舞台の芯を貫く恋物語の主人公、若旦那と小糸が登場するのがこの噺。遊び慣れぬ若旦那と初々しい芸妓・小糸が出会ったことから、二人とも盲目状態の恋仲に。その溺れぶりに手を焼いた若旦那の家のもの、親族郎党が集まりその処遇を話し合った結果、若旦那は100日の間、自宅の蔵で軟禁生活を科せられ、その間に小糸は焦がれに焦がれて手紙を書き続けた挙句......という筋立て。上方落語には珍しい、余韻の残るサゲ(オチ)が味わい深い噺だ。
<その3>
【算段の平兵衛】 平兵衛、庄屋、庄屋の元妾・花、庄屋の女房、隣村の人々 ほかお金次第でどんな困りごとも引き受ける、算段の平兵衛が大活躍するブラック・ユーモア満載の噺。元はといえば平兵衛自身が、小遣い欲しさの美人局が原因で殺してしまった庄屋の死体を処理するために、庄屋の女房、隣村の若い衆からそれぞれに大金を引き出してのひと芝居。庄屋の死体は、死んでいるとはいえ首吊りさせるは、ボコボコにするは、挙句は崖から落とすはというやられ放題の仕打ちを受ける。さらにこの噺では、すべてがうまくいった後、平兵衛を強請ろうという按摩・徳之市が登場するのだが、放送コードにかかる内容のため収録される場面などでは噺すことが出来ないようだ。
<その4>
【胴乱の幸助】 胴乱の幸助裸一貫から一代で身上を築いたものの、飲む打つ買う、一切の遊びに興味のない材木問屋の楽隠居・幸助の唯一の趣味はケンカの仲裁。仲間割れから夫婦喧嘩、果てはイヌの吼え合いにまで首を突っ込み、相手が自分の名を知り顔を立てて喧嘩を止めれば悦に入って、仲直りの印にと酒や食事を振舞うという、変わった人助けが三度の飯より好きと来ている。これを利用してただ酒にありつく二人組のエピソードから、本来の噺は幸助が町中で漏れ聴いた稽古中の浄瑠璃、嫁・姑のいがみ合いを語るその声を現実のものと勘違いし、仲裁をしようと京都までわざわざ出向くという勘違いにまつわるやりとりが、噺のサゲになっている。他にも上方落語の大ネタ小ネタが取り入れられている。舞台を観た後、元ネタを探してみるのも楽しいかもしれない。
anEssay on 落語
落語の「笑い」に見る、江戸・上方それぞれのスピリットお笑いプロデューサー、ライター・木村万里
大阪で育ち、いまは東京在住。
東京へやってきたとき、まず最初に感じたのは、人と人との距離感。
町を歩いていても電車に乗っても、ほんの少しでも手や肩が触れ合うと、びくっという反応があり、「すいません」と返ってくる東京。
別にええのに、と思いながら今ではそうあやまってる自分がいます。
道を尋ねるとき、違いがはっきり。
東京では、質問の前にご挨拶がなければなりません。
「少々、ものを伺いたいのですが」
言葉にせずともこのご挨拶の雰囲気をまず漂わせ、次の段階で本題に入らねばなりません。
大阪なら単刀直入が喜ばれます。
挨拶してる暇があったらはよ本題に入らんかい、てなもん。
東京暮らしと大阪暮らしが同じ20年になったころ、携帯電話がまだまだ珍しかったころ、大阪は難波の宿泊ホテルがわからず地図を片手に尋ねると「ああ、そこやったらあっちの方とちゃうかな。あ、電話番号わかるのん?ほったら電話かけて聞いてみたるわ」とスーツ姿の若い男性。
この具体的な親切に感涙。
そうだ、私はこの「具体的」に飢えていたのだ、と気付いたことがありました。
商人の町大阪は、人と人が水平の関係にあります。師匠弟子の関係を見ていても、上下関係に厳しい東京とはえらい違い。ま、奥底にははかりしれないリスペクトが流れているのでしょうが、形式ばったことを嫌う大阪、上方落語の底に流れる「おもろなかったらしゃあないやん」スピリット。
武士と職人という上下をおもんじる階層で成り立つ江戸、そこに育った落語の笑いには権力への反抗という風刺精神が見え隠れ。
上方落語には、権力て何? なんぼのもんじゃい精神が溢れます。
「そんなあほな」と自分ツッコミ入れながら、自分をどこぞへ放り出して生きる術、それを教えてくれるのが上方落語。
「遊んで遊んで死んでもうたらしまいや~」
ほんま、たしかにそうやねん。
「死」には上も下もないからねえ。
木村万里◎きむらまり お笑いプロデューサー、ライター。スティービー・ワンダー世代。半音好き。志の輔落語会などお笑いのプロデュースや企画など笑いの周辺を練り歩く。「シアターガイド」や毎日新聞(東京版)にコラムを執筆。
構成・文/尾上そら