Pre-stage Voice2

時代を超える作品強度、継承される身体
―山海塾「金柑少年」

世界を拠点に活動している舞踏カンパニー、山海塾。
彼らの記念碑的作品「金柑少年」が昨年リ・クリエーション=再創作され、06年2月に北九州芸術劇場で上演されます。
時代を超えて受け継がれる作品の根幹とは何か、舞台ライターの岩城京子氏に解説を寄せてもらいました。

■山海塾「金柑少年」
2月3日(土)18:00開演・4日(日)14:00開演
北九州芸術劇場 中劇場

山海塾の「金柑少年」には28年もの歴史がある。初演は78年。若き天児牛大が弱冠28歳のときに創りあげた揺籃期の傑作だ。ちなみに、このように日本のダンスカンパニーがひとつの作品を長きに渡り上演し続ける例は非常に少ない。それはひとえに我が国がいまだに圧倒的に新作市場であるという物理的側面もあるが、芸術的な観点から見ても、数十年の再演に耐えうる"作品的強度"を持つマスターピースがなかなか生まれてこないのだ。モーリス・ベジャールの「ボレロ」やローラン・プティの「若者と死」がいまだ現在進行形に踊り継がれているのと同様に、日本人の創作した舞踊が踊り続けられているという話は......、悲しいかな歌舞伎の舞踊物ぐらいでしか耳にすることはない。噛み砕いて言えばこの作品的強度とは、創作の傑作度とも言い換えることができるのだが、では一体、それは具体的にどう現前化するものなのか? 今年春、東京で14年ぶりに上演された「金柑少年」(リ・クリエーション版は東京初演)を観て、その答が少し見えたような気がした。

リ・クリエーション版と述べたが、この作品はそもそも、いまだ終戦の匂いが残る港町で育った天児少年の煤まみれの記憶や心象風景をコラージュして構築されたもの。よって初演から15年間は天児自身がその記憶を精密に体現すべく、本作の4つのソロを一身に担い踊り続けてきたのだが、93年に一度、天児の「体力的な限界」などを理由に上演が封印されてしまう。ただ再演を望む声は世界中で止むべくもなく、その声に押されて05年に、ソロを若手舞踏手3人に振り分けるかたちで作品を再生。80年代初頭に世界に〈Sankaijuku〉の名を知らしめることになったカンパニーの記念碑的作品が、新たな息吹を吹き込まれることになったのだ。天児はこのリ・クリエーションの動機を、1年程前にこう話してくれた。

「パリ市立劇場などからの強い要望がありまして、じゃあ再び上演初めて自分が出演しない作品を構築することになったわけです。ただ、振り付けも楽曲も基本的には初演と同じもの。自分のなかにはいったん切り口として出したものは"変えたくない"という気持ちがわりとあるので。稽古中にたとえ何か手を加えたいと思ったとしても、その気持ちは新作のほうでトライすることにしているんです。それよりも自分としては、78年に創った原型にあくまでも近い形で上演して、それが今どう受け止められるのか。そちらのほうに興味がある」

真夏日に立ちあらわれる蜃気楼のようにユラユラと揺れながら、突然、真後ろにバンッと"跋倒"する少年。生きた孔雀を抱きかかえ、その鳥の鼓動に呼応するかのようにタンゴを踊る青年。二頭身のいびつな豆太郎から優雅なドレス姿にメタモルフォーズして、狂信的に踊り続ける聖母。そして、海辺の果てで逆さ吊りになり平穏に眠りをむさぼる生贄。この4つのソロはすべて圧倒的な熱量と絵画的ダイナミズムを誇っており、天児の記憶と密接に関わっているとはいえ、その歴史性が取り除かれたところでも作品の強度がブレることはない。また本作の全篇には少年期と壮年期の狭間で揺れる若者特有のカオティックな衝動――、つまり言語化できない焦燥感や絶望や猥雑さが満ち満ちており、山海塾の若手舞踏手たちはその衝動を受け継ぐことに見事に成功している。単に天児の踊りを形としてなぞるのではなく、現代にも通じる普遍的な青年期のカオスを体現する。つまりダンス作品において動き以上に大事な"心"の部分が、この再生版では抜け落ちていないのだ。

「動きをただ覚えさすのではなく、感情を移すこと。それが今回のリ・クリエーションにおける最大の課題でした。この感情とは動きひとつに込められた内的な感情の可変性であり、また環境(音楽や照明)に付随して変わってくる外的な感情の可変性でもある。その内と外の両方の変化を彼等に体感させることで、自然と動きが体に染み込んでいくようにしたかったんです。なので稽古はやはり、新作を振り付ける作業とは少し異なりましたね。基本はもちろん言葉で動きを伝えていくわけですけど。この作品に関しては自分のなかに堆積した感情を伝える必要があるので、たまには自分で踊って見せて伝えることもした。で、その後で実際に彼等が自分なりに掴めているかどうかを客観的に確認して...。そういう作業を続けて再創作していきましたね」

どんなに傑作に見える舞台も、実は一人の類い稀なるダンサーの存在によって成立していることがしばしばある。その場合、ダンサーの肉体的衰えとともに作品は風化してしまうことになるが、前述した"強度"のある作品は、その特定の個人と決別したところでも凛然と輝く不滅の命を持つ。その意味でリ・クリエーション版「金柑少年」は、天児の肉体と決別することにより初めて、絶対的な強度のある名作であることを世界に立証してみせたのだ。九州では実に22年ぶりの再演。時に風化しない、歴史的傑作の威力をその目で確かめたい。

山海塾◎さんかいじゅく 75年に主宰・天児牛大によって設立された舞踏カンパニー。80年より海外公演を開始し、82年からは、世界のコンテンポラリーダンスのメッカであるパリ市立劇場を創作活動の本拠地として、およそ2年に1度のペースで新作を発表しつづけている。82年以降の作品は、すべてパリ市立劇場との共同プロデュース。05年12月にパリ市立劇場にて発表された最新作『時のなかの時―とき』は同劇場との共同プロデュースとしては、異例の11回目となった。この新作には、国内から北九州芸術劇場が共同プロデュースに初参加。パリ市、北九州市の公共劇場と共に創り上げた。

天児牛大◎あまがつうしお 49年横須賀市生まれ。75年に山海塾を創設。作品『アマガツ頌』(77)、『金柑少年』(78)、『処理場』(79)を発表後、80年に初めての世界ツアーを行う。81年より、フランスおよびパリ市立劇場を創作の拠点とする。演出・振付のほか、空間や衣裳のデザインもすべて天児が創作する舞台は世界各地で高い評価を受け、これまで41カ国700都市以上で公演している。

<執筆者プロフィール>
岩城京子◎いわききょうこ 演劇・舞踊ライター。バレエダンサーを経て、慶応義塾大学在学中にカルチャー雑誌を創刊。編集部勤務後、コラム執筆開始。「ぴあ」「シアターガイド」「SPA!」など定期的に10誌以上で活躍。最近ではKバレエカンパニー、NODA MAP、来日ミュージカル公演などのパンフにも寄稿多数。