「無伴奏ヴァイオリン・リサイタル」に寄せて
デビュー10 周年、ヴァイオリニスト樫本大進が響ホールに初登場!
機熟し、初めて挑む全くのソロ演奏
■2006響シリーズ第5弾「樫本大進 無伴奏ヴァイオリン」
2月24日(土)15:00開演 北九州市立 響ホール
無伴奏作品だけを集めたリサイタルは、生涯で初めてだと彼は言う。クライスラー・コンクール優勝、そして半世紀におよぶ歴史上最年少の優勝で話題をさらったロン=ティボー国際コンクールから早くも10年、ヴァイオリニスト樫本大進が機熟してのチャレンジで、響ホールに初登場する。先ごろ学生生活も終え、その意味でもさらなる音楽の道を歩み始めた彼の、もっとも正直なところが無伴奏で聴ける好機だ。
「無伴奏のリサイタルだけあって、ちょっと緊張しています。でも、幼い頃に憧れて以来、ずっとやってみたいなという思いがありました。一緒に音楽を創る仲間がいませんので、何をするのも自分の責任。反対に、自由にできるところもありますけれど、隠れるところがない。まあ、やってみないと分からないです。面白いと思いますけれど。」
若き巨匠達との共演を楽しむ
これまで協奏曲でも室内楽でも良い共演者に恵まれて、自分の音楽を深めてきた樫本にとって無伴奏のリサイタルは、また新しい世界が拓かれるきっかけとなるかもしれない。「人と一緒に演奏しコミュニケーションを楽しんできたので少し寂しいですけれど、でも、やりたいことができるので。」と彼はさらりと言う。ピアニストのイタマール・ゴランとは長年のデュオで良いパートナーシップを築いてきたし、最近はエリック・ル・サージュらとのトリオも愉しんでいる。サロン・ド・プロヴァンス室内楽音楽祭でエマニュエル・パユとも共演して、「マジカルな力をもらった。」そして、チョン・ミョンフンとは協奏曲はもちろん、彼のピアノとも共演を重ねている。「チョン・ミョンフンの引き出すパワーというのは凄いですよ。竜巻みたいで、吸い込まれちゃうという感じです。素晴らしい音楽家と共演すれば、一緒に音楽しているだけで何でも勉強になるので、これからもいろいろな相手と共演してみたいですね。」
ザハール・ブロンに見出されドイツへ
樫本大進は1979年ロンドンに生まれ、ニューヨークのジュリアード音楽院プレ・カレッジでドロシー・ディレイと田中直子に学んだ。11歳のとき、名教師の誉れ高いザハール・ブロンに出会い、彼の招きでリューベックに移って19歳まで彼に師事した。「初めて弾いたときから、夢としてはヴァイオリニストになりたいというのがあった」が、「実際に音楽家にならなきゃなと思った」のは、ドイツ留学を決意したこのときだったという。その後、アバド時代のベルリン・フィルの顔を務めた名伯楽ライナー・クスマウルのもと、フライブルク音楽院で勉強を続けた。現在もフライブルクに在住し、時折彼のレッスンを受けている。
「ブロン先生は、生徒一人一人の才能を引き出すのが上手な方でした。9年間でいろいろ習いましたけれど、いちばん大きいのは、すべての曲に対して、難しい曲もそうでない曲も、同じ情熱で取り組んでいく、ということでしょうか。クスマウル先生はまったく正反対のキャラクター。いろいろなものを知ることで、自分のなかのバランスがうまくとれるんじゃないかと思って、あえて遠い先生を選びました。クスマウル先生はヴァイオリンを使ってできることは何でもやっていらっしゃる方ですから、音楽に対していろいろなところからアタックできるように僕もなれるかなと思って。」
いま27歳の青年は、師匠たちの年齢になったら、どんな音楽家になっていたいと思っているのだろうか。
「ほんとうに、そんなにいまと変わりたいとは思わないんです。いまは自分自身にとても正直に音楽をつくっていけているかな、という感じがしていますので。それを忘れないように、失くさないように、やっていきたいと思います。それをどういうかたちでやっていくかということは、まあ、音楽やっていればいいんですから(笑)。」
究極的に目指すは"自由な音"
デビュー当時に欲しかった音と、いま求めている響きと、樫本自身のなかでは変わってきた部分もあるのだろうか。
「きっとそんなには変化していないと思いますね。楽器の可能性とか性格の違いというのはありますけれど、でも最終的に求めているものは変わらない。それは、ほんとうは言葉で言えないものなんですけれど、やっぱり人間の声をイメージしていますね。最近すごく気にしているのは"自由な音"です。詰まっていなくて、うるさくなく、自由に伸びていく、飛ぶ音、というのを出そうと。音というのは自分の内から出てくる。そして、音は聴こえなくなっても、絶対残るんですよ。僕が思ういい音というのは人間の心には残っている。だから、絶対に消えることはないと思うんですよ。」
日本での演奏活動を2年ほど休んだこともあったが、その時期を経て、さらに彼自身の音楽が確かなものになったようだ。「自分に対しての正直さ、というか、自分が何をしたいのか、というのがわかってきたので、それが僕にとっては大きい」と本人も語るが、そうしていま、この無伴奏リサイタルから、樫本大進のまた新しい10年が始まろうとしている。
バロックからバルトークまで全4曲
注目のプログラムは、バッハとイザイというこの分野で最大の傑作から。まずは樫本が8歳のときに初めて弾いたバッハのパルティータ第3番、そして、その第1楽章のフレーズを借用したイザイのソナタ第2番が選ばれた。ジェミニアーニのソナタはイタリア・バロックの技巧的な作品で、12歳のときヴィエニャフスキ・コンクールで弾いた作品だそうだ。「ずっと弾きたかった」というバルトークは、樫本が10代の初めに出会って「すごいオーラを感じた」という巨匠メニューインの依頼によって書かれた曲である。今回のツアーで使用するのは久しぶりにまた弾き出した1674年製のアンドレア・グァルネリ、「性格がすごく濃くて、気に入っている」というこの名器で、時代も国籍も異なる多彩な様式をもつ作品群に臨むなかに、樫本大進の現在の魅力が満開になると期待される。ほんとうにやりたいことにこそ、その音楽家のベストが出る、と彼自身も言うように。 「バッハは、弾いていても聴いていても、自分のなかでバランスがとれる。落ち着く感じで、大好きなんです。とくにフライブルクの家は24時間弾けるので、夜中にひとりでバッハを弾いていたりして・・・・楽しいですよ(笑)。この無伴奏プログラムはいろいろと悩みましたが、やはり自分が納得のいくものを聴いていただきたい。きっとすごく疲れるプログラムだと思いますよ。弾くほうも、聴くほうも。でも、その疲れって、いい疲れですよね。」
樫本大進 KASHIMOTO,Daishin/Violin
1979年ロンドン生まれ。96年のフリッツ・クライスラー、ロン=ティボーの両国際音楽コンクールでの1位を始め、5つの権威ある国際コンクールで優勝。当時50年の歴史を誇るロン=ティボー国際音楽コンクールでは史上最年少という快挙で世界の注目をあびた。NHK大河ドラマ「利家とまつ」では紀行テーマを演奏。近年の活動には、2004年、パリとウィーンにてメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ニ短調での大成功、2005年ナント及び東京でのラ・フォル・ジュルネ音楽祭出演などがある。ミッシャ・マイスキー、エマニュエル・パユやポール・メイエなどの著名演奏家とも共演。2005年2~3月には日本で3年振りにリサイタル・ツアーを行い、7月にはチョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演し、大成功を収めている。2006年はデビュー10周年にあたる。今回の使用楽器は、1674年製のアンドレア・グァルネリ。