2005年06月30日

[「10年書き続ける」ための戯曲講座]

第三回(6月18日(土)14:00〜18:00)

それぞれが提出した宿題を今日もまた音読することから始まります。
自分で書いた時と人に読んでもらった時の印象ではずいぶん違うというのは、前回までにも経験してよく分かった事実です。
そのファーストインプレッションを作家に大切にしてもらいたいということで、今回もはせ氏が考える配役で音読が行われます。
「今後はみんなもどんどん書いていって行数も増えるだろうし、時間的にも今のうちじゃないと読めないということもあるからね。」とはせ氏は言われました。

ある受講生の戯曲に2階建てのフラット(アパート)の6部屋でそれぞれ起こっている事を描いたものがありました。
はじめにその見取り図を描きだし、登場人物の誰がどの部屋に住んでいるのかを確認してから音読に入ります。
読んでもらった配役が思いのほかマッチしていて、はせ氏からも「本番もこれでどうですか(笑)?」なんて冗談も。
6つの部屋が全て見えているというこの設定に対して、はせ氏は「このような舞台は今までにもない訳ではなく、(劇団)自転車キンクリートが同じような2階建てで4つの部屋が見えるセットを作ったことがあるんだよね。」と、その舞台について説明をしてくれました。
4つのうちの1つの部屋で行われていた男女のやり取りがすごく印象的で、はせ氏はそれが今でもズームした状態で記憶に残っているといいます。
お芝居の特異性とも言えるのだろうけど、それほど小さな空間での出来事だったにも関わらずとても素敵な芝居だったため、その小ささがちっとも気にならなかったというのです。
「もう一つ余談だけれど・・・」と付け加え、最近見た名古屋の劇団のお芝居では4つの部屋での出来事を上演するのに、どれも部屋の作りが同じということで一つのセットでそれぞれの部屋(初めに402号室、次は403号室)の出来事をシーンで使い分けるといったやり方をした例も挙げてくれました。

戯曲にはいろいろな趣向が凝らされてあって、登場人物の姉妹の名前がリエとエリだったり、ミヤコという人物が台詞の中で「都(トーキョー)に行く。」と自分で言ったりと、細かい部分も見逃せません。
そういったことについて、はせ氏は「作家を感じさせてしまい嫌味と感じる人もいるのでやり過ぎには気をつけるように。」ということでした。
「楽しくぶっ飛んだ構成ではあるけれど、この場合中心となる姉妹以外の登場人物たちが道具化してしまっていて遠くに感じてしまう。そうなると作者が何が言いたいのかが見えなくなってしまうので、別にウエットになる必要はないけれど周りの人物のそれぞれにも何かちょっと見えるものがあったほうがいいね。」と言われました。

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↑発表の一つ一つに真剣に聞き入るはせ氏

若者たちとドラッグを題材にした戯曲を書いてきた受講生もいます。
高校生が箪笥でマリファナを育てたというニュースを見て、それにインスピレーションを受けたのがきかっけだそうです。
まず書き方で、ト書きに( )が多用されてあることについて「ト書きはあくまで添え書きなので書きすぎてはダメ。」と注意がありました。
反対に、ト書きの『何かに引っかかり、物が落ちる。』という部分では「これはもっと書いてくれないと分かりにくいね。何に引っかかって何が落ちるんだよ(笑)?」とも。
作者の中ではイメージができているものの、文字にしてイメージ通りに他人に伝えることはなかなか難しいようです。
はせ氏の「救いようのない結末(話)と思っていいのかな?」という質問に対しても、「自分の中ではそれなりにハッピーな感じ(結末)なんですけど・・・。」と答えが返りました。
はせ氏は「ドラッグなどを題材に扱うときはきちんと調べて書いた方がいいし、戯曲が題材に引っ張られて悲惨な結末になることもあるんだよね。扱うものが扱うものだけに変にまとめたりいい話にしようとしない方がいい。題材に耐えうるだけのドラマがあったりするのであればいいけど。」と話し、慎重になりすぎるのではなく覚悟して書くようアドバイスされました。

ある受講生からの質問で「自分の書いた戯曲を読んだ友人に『ここに出てくる4人って、全部お前じゃん。』と指摘されたのですが、キャラクターとしてそういうのを出さないようにするコツはありますか?」というものがありました。
はせ氏は「別に消す必要はないんじゃない?所詮、自分の意識やものの考え方なんかってバレないようにやっても出てしまうもの。そんな風に自分を登場人物の誰かに投影して書いてる作家も大勢いるよ。もちろん、絶対に出さないというポリシーを持って書いている人もいるけどね。」と言われました。
この受講生に対しても「客観的に読んでみて、この作品の中の男1,2,3,4ってどれも別人として見られているから大丈夫。あまり深く考えなくてもいいよ。」ということでした。

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↑受講生からもいろいろな質問が飛び出します。

戯曲の中に、さだまさしや黒柳徹子といった芸能人の名前を使った実名ギャグを多用しているものもありました。
これも前出のやり過ぎ注意と同様、観客の中には嫌う人もいて上演しにくいこともあるということです。
その中で、波多陽区の「残念!」というギャグも出てくるのですが、はせ氏は「一時的な(時代性を持った)ことをエピソードの中にはなるべく入れないほうがいいのでは?」と言われました。
どうしてもとダメという訳ではないけれど、“戯曲は時代を超えるもの”という信念を持っている作家もいるくらいで、例えば何十年も経ってから上演するときに耐えられるのか?ということも考えておくことは必要だと。
とはいえ、この中に出てくる会話の面白さやネタ自体の面白さは否定できないと話されました。
「演劇的といえば演劇的だけど、人が言葉をしゃべることの巧みさをうまく使っている。」と言い、笑いをテンポよくとっていくジェットコースター的なところを生かしつつ、ちょっとしっかり考えるような観覧車的なところ(はせ氏は「泣かせる観覧車」とも言われていました。)もうまく絡めて書き進めてもらいたいということです。

この他、サスペンス風のものや戯曲の中に絵本として別のお話が出てくるものなど様々で、これらの戯曲がこの先どう肉付けされていくのか、あるいはすっかり違ったものになってしまうのか、とても楽しみです。
みなさんしっかり頑張ってくださいね。


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